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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

消えゆく「理想の国」

美しく咲くハナショウブに見とれるドナルド・キーンさん=6月17日、東京都渋谷区の明治神宮御苑で(神代雅夫撮影)

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 終戦間近の一九四五年六月十三日に書かれた私宛ての手紙が、六十九年もかかってホノルルから届いた。書いたのは、私がホノルルで米海軍の通訳士官だった時に部下だったヘンリー・横山。送ってくれたのは彼の妻マージだった。終戦後、医師となりハワイの地域医療に貢献した日系二世のヘンリーは十年ほど前に亡くなったが、マージが最近、部屋を整理していて手紙を見つけたそうだ。

 その年の三月、私は沖縄上陸作戦に参加することになり、ホノルルからフィリピンのレイテ島へ飛んだ。艦船に乗り換え、日本軍が手薄だった読谷村に翌四月、上陸。その直後に私は陸軍第九六歩兵師団に合流した。手紙の宛名は同師団気付と間違ってはいなかったが、戦中の混乱もあって届かなかったのだろう。

 手紙の中身はヘンリーと一緒に働いた、ホノルル近郊の海に面した米軍翻訳局の近況報告。少し黄ばんだ手紙を手にすると当時の記憶がよみがえってきた。

 翻訳局は、私が日本研究にのめり込む原点でもあった。壮絶な戦闘があった南太平洋西部のガダルカナル島で回収された日本兵の日記を私は翻訳した。血痕が残り、異臭を漂わせた日記には、物量で圧倒的な米軍の砲撃におびえ、飢餓とマラリアにさいなまれた苦悩がつづられていた。死を予感して「家族に会いたい」と故郷に思いをはせる記述には心を揺さぶられた。

 私たちには週一回、米兵の手紙を検閲する任務もあった。その手紙には「食事がまずい」「早く帰りたい」といった記述が多く、大義のために滅私奉公する日本兵との落差に、私は複雑な思いをした。日本の軍国主義を受け入れることは到底できなかったが、僚友よりも、日本兵への同情を禁じ得なかったのだ。

 反戦主義者の私が通訳士官となった理由の一つが、何か特別な情報を入手して、一日でも早く戦争を終わらせようという思いだった。それはついぞ果たせなかったが、平和への思いは絶えることなく、日本人となった今も続いている。

 戦後、日本人は一人も戦死していない。素晴らしいことだ。不戦を誓う憲法九条のおかげであり、世界が見習うべき精神である。ところが、日本は解釈改憲で「理想の国」から「普通の国」になろうとしている。

 私は戦争体験者として、国際問題の解決には軍事行動を取るべきではないと思っている。遺体が無造作に転がる戦場に立てば、その悲惨さ、むなしさは明らかだ。それに、日本にふさわしい平和的な国際貢献の方策はいくらでもある。

 「Dear Donald」で始まるヘンリーからの手紙には、仲の良かった同僚や嫌われ者の上司についてなど、他愛(たわい)もない話が内輪の隠語交じりで書いてあった。六月が私の誕生月で、ヘンリーの母が「特別にクッキーを焼いて送る」ともあった。それはどこへ行ったか分からないが、マージが手紙に別のクッキーを添えてくれた。

 それを頬張ると翻訳局で机を並べた同僚たちの横顔と、血がにじんだ日記の文字が脳裏に浮かんだ。思い出は思い出だけでいい。戦後、憲法によって守られてきた日本を、少しでも戦前に戻そうとする動きに私は抵抗を感じている。 (日本文学研究者)

 

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