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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

「保全」の心大事に

江戸時代に朝鮮通信使が「東の国で一番の景色」と称賛したとされる、福禅寺の客殿「対潮楼」からの景色を楽しむキーンさん=広島県福山市鞆町で(鈴木伸幸撮影)

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 先月上旬、広島県福山市の鞆(とも)の浦を久しぶりに訪ねた。山口県長門市と京都市で講演会があり、その合間の一泊旅行だった。瀬戸内海に面した、江戸情緒あふれる港町だ。私は見たことがないが、アニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台といわれているそうだ。西から近づいた台風の影響で雨模様の中、空からトンビが「ピーヒョロロー」と、そして軒下の巣から顔を出した子ツバメが「ピーピー」と私を迎えてくれた。

 鞆の浦を初めて訪れたのは二十年以上も前だ。講演で福山市の学校に招かれ、そのついでに案内してもらった。瀬戸内海のほぼ中央にある。満潮時には潮が東西から鞆の浦に向かい、干潮時には逆に東西に引く。その流れに乗って往来する船が潮待ちをした港として古くから栄えた。万葉集にも歌われ、江戸時代には朝鮮通信使の寄港地だった。

 港には船の誘導のために使われた高さ約五・五メートルの石塔「常夜燈(じょうやとう)」が残る。青い海に目をやれば、沖合に明治天皇が好んで訪れた風光明媚(めいび)な仙酔島(せんすいじま)が浮かぶ。木造の家屋が並ぶ細い通りを歩くと、江戸時代に迷い込んだかのようだ。

 その時から鞆の浦は私が最も好きな場所の一つになった。だが、誰にも言わず、秘密にしていた。人気になって観光客が集まると、コンビニやチェーンの飲食店が並ぶようになり、鞆の浦の魅力が薄れてしまうことを恐れたのである。

 ところが、鞆の浦は観光地化よりも先に、港の両岸を埋め立てて橋を渡す公共事業が問題となった。反対運動もあって計画は止まっているが、私も事業には賛同できない。福山市在住の友人で翻訳家のナンシー・ロスは「せっかく残っている街並みを、なぜ保全しないのか」と首をひねっていた。私も同感である。古い日本の美しさをもっと大切にしてほしいと思う。

 三年前の訪問時に立ち寄った店が今回は店じまいしていた。経済的な事情があることは分かる。だが、公共事業によって、一時的にはともかく何か大きな変化が訪れる時代ではない。

 鞆の浦には豊かな文化がある。例えば、もともとは京都市の伏見城にあり、桃山時代には豊臣秀吉が観劇したとされる能舞台は、鞆の浦の沼名前(ぬなくま)神社に移設され、国の重要文化財になっている。その能舞台で横笛の「能管」を披露したこともあるナンシーは「壊して新しくするのではなく、今ある文化財を街づくりに生かすという発想が乏しい」と話していた。

 地方ばかりの問題ではない。東京でも二〇二〇年の五輪に向けた新国立競技場の建設が問題になっている。成熟した首都東京に「大きくて斬新な新競技場」はふさわしいのだろうか。

 日本はとても豊かになった。夜中に街がこれだけ明るく、にぎやかな国は他にない。原発事故後、電力不足で節電意識は高まったはずだが、もうそれもなかったかのようだ。五輪に向けての再開発で、東日本大震災の被災地再建が遅れやしないかと気掛かりだ。

 昨年、決まった富士山の世界文化遺産登録にはさまざまな前提条件が付いた。どれもこれもが富士山の保全策を取ることである。日本で保全が必要なのは富士山だけではない。誰かに言われる前に、私たちはそれに気付き、行動する知恵を持っているはずだ。(日本文学研究者)

 

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