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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

「天才」三島の虚無感

ユニオン・スクエアに近い、古本屋「ストランド」で本選びをするドナルド・キーンさん(右)=米ニューヨークで(鈴木伸幸撮影)

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 先月中旬、私はほぼ一年ぶりにニューヨークを訪れた。まだ少し肌寒かったが、人いきれがするこの大都市の魅力は、やはり数々の優れた舞台芸術である。私は旧友に会い、母校コロンビア大で講演をする合間に、オペラや演奏会を楽しんだ。私と親しかった作家、三島由紀夫もニューヨークの舞台芸術が好きだった。思い起こせば、もう半世紀以上も前になる。彼は自作の近代能をブロードウェーで上演しようと、私を訪ねてきたことがあった。

 私は京都大大学院に留学していた一九五四年、三島と知り合った。友人の計らいで、一緒に東京で歌舞伎を見たのだ。私たちは観劇という共通の趣味もあり、すぐに意気投合した。今年で生誕九十年の三島は小説はもちろん、近代能も素晴らしかった。私は彼の「班女(はんじょ)」や「卒塔婆(そとば)小町」など五作を英訳して、五七年に出版した。それがニューヨークで評判となり、三島は上演を望んだのだ。

 出版社が招待した三島の訪米を地元紙が報じ、何人もが「私に近代能をプロデュースさせてくれないか」と申し出た。三島はその全員と会い、若くて有能な二人を選んだ。三作が演目となり、演出家が決まり、俳優のオーディションも行われた。難航したのは資金集めだった。プロデューサーは「三作の雰囲気が似ていることが問題ではないか」と考え、近代狂言を間に挟むことを提案した。私は難しい注文だと思ったが、三島はいとも簡単に「附子(ぶす)」を下敷きに近代狂言を書き上げた。

 それでも、スポンサーは見つからず、プロデューサーは「三作の近代能を一つの芝居に書き換えてくれないか」と言い出した。私は「無理だ」と思った。三作とも登場人物は異なるし、ストーリーがかみ合わないからだ。ところが、三島は何食わぬ顔でやり遂げた。私は、難しいことをたやすくこなせる人が天才だと思っている。私の周りで当てはまるのは、日本に来たこともないのに「源氏物語」を名文に英訳したアーサー・ウエーリと三島ぐらいだ。

 三島作品は現在でも世界各地で上演されていて、そのレベルの高さには定評がある。だが、ニューヨークではタイミングの問題からか、スポンサーが見つからなかった。私は力になれず、落胆した。

 三島は半年ほどの滞在中にオペラやミュージカル、バレエ、演劇などに足しげく通った。私は時間があるときにはガイド役を買って出て、意外な場所にも案内した。アムステルダム大通りの百二十丁目にあったコロンビア大の書籍部だ。三島が「ラテン語で地名表記された月の地図が欲しい。どこかで買えないか」と言い出したので、そこに連れて行ったのだ。

 その地図には「Mare Foecunditatis」と記載された海があった。日本語訳は「豊饒(ほうじょう)の海」。それは三島の遺作の題名でもある。七〇年に三島が自決する直前だった。私はその題名が気になり、手紙で意味を尋ねたことがある。返信には「月のカラカラな嘘(うそ)の海を暗示した」とあり「日本の文壇に絶望」とも書かれていた。豊かな才能に恵まれながら「何もない。カラカラだ」と虚無感にさいなまれた天才、三島。既に自決を決めていたのだろう。私は、その文面に背筋が凍りついた。  (日本文学研究者)

 

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