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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

超一流の二流芸術国

ドナルド・キーン・センター柏崎で開かれたサイン会で、ファンと握手するキーンさん=9月22日、新潟県柏崎市で

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 新潟県柏崎市にあるドナルド・キーン・センター柏崎が開設二周年を迎えた。記念講演に呼ばれて出かけると、秋晴れの空を泳ぐ赤トンボが歓迎してくれた。千人以上も入る会場での講演会は満席で、東日本大震災の被害を受けた東北や、私が留学生活を送った関西からも多くの人たちが足を運んでくれた。ありがたい限りである。

 私は柏崎とゆかりのある三百年以上も前の古浄瑠璃「弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」の復活上演に関わった。それが縁となって柏崎に同センターは作られ、私が寄贈した書籍など約二千五百点が展示されている。この二年間に、太平洋戦争で戦死した日本兵の「最期の日記展」などの特別企画展も折々に開かれ、情報の発信拠点となっている。

 もう四年以上も前だ。「キーンさんのメモリアル・ホールをつくりたい」と打診された。英語でメモリアルは故人をしのぶ施設。「死ななければならないのか」と思ったが、それは勘違いで、こんなに素晴らしい施設ができた。生きていてよかったと思う。しかし、何よりうれしいのは日本文学を軸とする文化が柏崎に育ちつつあることだ。

 同センターでは日本文学関係の専門家たちの講演会がしばしば催されている。「日米の文化交流の場」と米国大使館の公使も訪問してくれた。日本兵の日記展に込められた反戦への思いに、東京のコーラス団体が賛同して、寄付金を届けてくれたこともある。地元にはボランティア団体ができ、運営を手伝っている。こそばゆいが「キーン先生のちぃず饅頭(まんじゅう)」という菓子も誕生した。

 今回の講演会でも、地元の高校生が進行を手伝い、柏崎市内の中学生が約百十人も来てくれた。友人の世界的指揮者、小澤征爾は「本物に触れれば、何かを感じて音楽を志す人が必ず出てくる」と若い世代に積極的に音楽を聴かせている。それに私も共感する。将来、柏崎から素晴らしい人材が輩出されるだろう。

 しかし最近、気になっているのが人文社会学系学問への冷淡な風潮である。特に、中国や韓国の経済的な台頭で、東アジアにおける日本の存在感が絶対的でなくなってから、そんな傾向を感じる。拝金主義に拍車がかかり、新自由主義の影響か、効率化や短期的利益ばかりが求められているようだ。だが、忘れてはいないだろうか。日本の経済発展は豊かな文化という土壌に支えられていることを。

 太平洋戦争が終結した七十年前、日本は全てが荒廃していた。それから驚異的な復興を果たした背景には、日本人の教育水準の高さと同時に教養の高さもある。私は日本を「超一流の二流芸術国」と評している。もちろん一流芸術もあるが、特筆すべきは誰もが俳句や短歌、生け花や書道といった芸術を気軽に楽しんでいること。これほど教養レベルの高い国は他にない。芸術には批判精神も必要で、健全な社会の証しでもある。

 人文社会学系の学問は、そうした文化や教養を育むためには必修。それを抜きに経済発展を追求しても社会は空洞化して、崩壊する。日本の歴史を振り返っても、それは明らかだ。軍国主義時代のように、権力者が多様な価値観を否定すれば社会はゆがむ。 (日本文学研究者)

 

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