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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

司馬さんとの親交

自宅で本を読むドナルド・キーンさん=東京都北区で(平野皓士朗撮影)

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 作家、司馬遼太郎さんと私の対談本「日本人と日本文化」の英訳本が先日、出版された。対談したのは四十五年も前。日本をめぐり意見をぶつけ合ったこの本は、今も版を重ねているロングセラーだ。英訳本は日本に関心のある外国人の理解を深める一助になると思う。

 司馬さんは私より一歳若い一九二三年生まれ。日米で対峙(たいじ)してはいたが、共に太平洋戦争に参加して、戦争の現実を知っている。司馬さんは私を「戦友」と呼んでいた。

 対談はある出版社の発案だった。司馬さんはベストセラー作家で誰もが彼の本を読んでいた。ところが、日本文学とはいえ古典が専門の私は彼の本を読んだことがなく、気乗りしなかった。それでも、司馬さんが「キーンさんが前もって自分の小説を読んで来ないこと」を条件にしたと聞いた。迷いはなくなり、お引き受けした。

 司馬さんは歴史に造詣が深く、博識だった。「古事記」「日本書紀」の時代から近現代に至るまで文学はもちろん、日本に影響を与えた外国人や外国文化、そして宗教へと話題は膨らみ、刺激的で実に楽しい時間だった。

 対談がきっかけで、司馬さんとの長い付き合いが始まった。忘れられない思い出がある。八二年にある大手新聞社が主催した宴席だ。酔った司馬さんが突然、その新聞を「ダメだ」とこき下ろし始めた。「明治時代に夏目漱石を雇うことでいい新聞になった。今、いい新聞にするにはキーンを雇うしかない」

 歴史に残る文豪と私を同列に扱う、酔狂な発言に一同は大笑い。ほろ酔いの私も気に留めなかった。ところが、外国生まれの異分子ともいえる私が組織活性に役立つとでも思われたのか、一週間ほどして新聞社から連絡があった。私は客員編集委員になり、日本の日記文学などについて連載した。それで複数の文学賞も受賞した。

 司馬さんの推薦がなければ、客員編集委員になっていなかっただろうし、日記文学の研究も思うようにはできなかったかもしれない。不思議な巡り合わせだった。

 司馬さんには一度だけ困らされたことがある。二十年に一度の伊勢神宮の遷宮に九三年、二人で一緒に参列した。極度に寒がりの司馬さんは「寒い」と控室に戻りたがる。私は神事を目の前で見たいのだが、彼は「控室にモニターがある」と袖を引っ張るのだ。今となっては笑い話だが五三年以来、四回連続して遷宮に参列している私は、その時だけはモニター越し。思い起こすと、やはり少し残念だ。

 それはともかく、司馬さんは私によくしてくれた。思うに、日本文学の素晴らしさを海外に紹介していたことを評価していたのだろう。司馬さんの小説にはメッセージがあった。敗戦と伝統的な価値観の断絶という二つの挫折で落胆していた日本人に「日本の歴史と偉大な先人たちを誇るべきだ」と訴え続けていた。

 国際化というのは外国に行くことでも、外国を知ることでもない。「日本文化とは」「日本文学とは」と誇りを持って主張し、外国で理解してもらうことである。今年で、司馬さんがお亡くなりになって二十年。今回の英訳は、何よりも日本の国際化が目的である。 (日本文学研究者)

 

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