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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

「歌聖」啄木の人間味

著書を手に、おどけた表情を見せるドナルド・キーンさん=伊藤遼撮影

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 本が売れるか、どうかの予測は難しい。私はこれまでに何十冊と書いたが、思い入れと売れ行きは必ずしも比例しない。むしろ逆になることもあって、売れない本が意外にかわいく感じたりするものだ。ところが、今回は思い入れの強い本が売れている。二十六歳で亡くなった薄幸の天才歌人、石川啄木の評伝本だ。硬い文学の本であるにもかかわらず、版を重ねている。

 評伝は私が得意とする分野だ。これまでに明治天皇、足利義政、渡辺崋山、正岡子規と書いてきた。いずれの人物にも共通するのは、歴史の変革期に生き、時代を自ら築いたことだ。

 それぞれに思い出がある。日本が世界の列強へと変貌する様を見守った明治天皇は、謎の多い人物でもあった。膨大な量の資料から、人物像を描き出す作業は刺激的だった。義政は将軍として失格だったが、茶の湯、華道など「日本の心」の源流といえる東山時代を築いた文化人だった。崋山は武士であり、画家であり、開国論を信じた知識人だった。廃れかかっていた俳句と短歌に革命をもたらした子規も興味深い歌人だった。

 そして啄木。私は彼の日記や手紙を通じて、実像に迫った。言うことがよく変わり、自己矛盾もしばしば。妻を愛しながら不貞行為に走り、女遊びのために借金をしては踏み倒す。歌聖のイメージが強い啄木の現代人に通じる意外な人間臭さを明らかにした。「The First Modern Japanese(最初の現代日本人)」を題名とした英語版も今秋、ニューヨークで出版された。

 日本語版も英語版も、表紙にはこれまでにはなかった啄木の写真を使った。啄木には定番写真がある。ポーズを決めてすまし顔のスタジオ写真だ。その紅顔の美少年が、歌聖としての啄木像だった。だが、私の本の表紙は山高帽をかぶり、すこしひねた表情の啄木。彼が釧路新聞勤務時に撮られ、市立釧路図書館に保管されていた。私は「これこそ歌聖のイメージを崩す現代人の啄木」とピンときた。

 思えば、こうした評伝に私が取り組むようになった原点は、太平洋戦争時にあるように感じる。米海軍の通訳士官だった私は、日本兵が戦場に残した日記を英訳した。弾が飛び交い、死を予感しながら故郷の両親や妻、子どもへの思いをつづった日記だ。それを読んで日本人の心に触れ、どんな人物だったのか思いをはせた。特攻、玉砕をいとわない日本兵とは懸け離れた人間味に「日本人とはどんな人たちなのだろう。もっと知りたい」と思った。それが、明治天皇や啄木の評伝につながったのだろう。

 先月、新潟県柏崎市で開設三周年を迎えたドナルド・キーン・センター柏崎の記念催事があった。私も招待され、啄木について話した。同市へ福島第一原発の事故で町民約二百人が今も避難を続けている福島県双葉町から、伊沢史朗町長が駆けつけてくれた。私は彼から「日本人以上に日本的な心情の人だと実感した」と言葉をいただいた。事故後、約八千人の全町民が避難した双葉町には、今もその一割弱しか戻れていない。啄木と同じ東北人で苦労が絶えないだろう町長の心遣いに、私は日本人でよかったとしみじみ感じた。 (日本文学研究者)

 

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