東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > ドナルド・キーンの東京下町日記 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【ドナルド・キーンの東京下町日記】

「日本学」のセンセイ

恩師の角田柳作氏と自らの企画展を鑑賞するドナルド・キーンさん=群馬県高崎市で(松崎浩一撮影)

写真

 先日、群馬県高崎市の土屋文明記念文学館で、恩師の角田柳作先生について講演した。太平洋戦争前、ニューヨークのコロンビア大学で、私に日本について初めて教えてくれた先生だ。あまり知られていないが、米国で多くのジャパノロジストを育てた「日本学の祖」。もっと評価されるべき教育者である。

 一八七七年に角田先生は現在の群馬県渋川市で生まれた。初めてお目にかかったのは一九四一年九月。私が先生の「日本思想史」を受講しようとした時だ。戦争前夜で対日感情は最悪。希望者は私だけだった。日本語はほとんど分からず、日本についてまだ何も知らない私のために、先生の貴重な時間を使わせては申し訳ない。辞退を申し出た。ところが、意外な一言に引きつけられてしまった。

 「One man is enough(一人いれば十分です)」

 謙虚で思いやりがあり、それでいて指導はいつも全力投球だった。講義前に黒板にあふれんばかりに書き込んで私を待っていた。ノートを見ずに空で講義した。教壇にはたくさんの本を持ち込み、どんな質問にも正確に答えてくれた。黒板の日本語を書き写すだけで必死だった私に、緊張をほぐそうとにこやかに声を掛けてくれた。

 先生は哲学者のジョン・デューイに師事し、日本思想史が専門だった。だが、日本に関することなら自分で準備して、何でも教えてくれた。私の日本文学研究の原点となる、松尾芭蕉の「おくの細道」や近松門左衛門の「国性爺合戦」、兼好法師の「徒然草」を教えてくれたのも先生だった。

 川端康成の作品を英訳して、彼のノーベル文学賞受賞に貢献したとされるエドワード・サイデンステッカーも先生の教え子だ。私の友人でもあるサイデンステッカーも先生を「日本関係の授業を全て引き受けた非凡な才を持っていた。米国における日本学の開拓者だ」と尊敬していた。

 当時、ハーバード大学に日本文学研究で有名な教授がいた。彼は、日本人の学問を見下し、角田先生をさげすんでいた。だが、先生の講義の方が、十倍も二十倍も楽しく、内容も濃かった。

 今回、講演した文学館では、角田先生と私の企画展が催されている。先生の母校、東京専門学校(現早稲田大学)で、大隈重信夫妻と一緒に写っている写真もあり、興味深く見学した。渡米前に、東京新聞の前身の国民新聞に勤務していたことも知った。

 戦時中、先生は敵性外国人として身柄を拘束された。日米の対立に苦悩はあっただろう。だが、日本の軍部を嫌って帰国を勧められても断り、釈放後は何事もなかったかのように教壇に戻った。学生たちに慕われ、何度かの引退の機会にも、その都度引き留められた。コロンビア大学では日本語で「センセイ」と言えば彼のことだった。

 六四年、センセイは日本への帰国途中、ハワイで体調を崩し、八十七歳で亡くなった。米紙ニューヨーク・タイムズは「日米の懸け橋が逝去」と異例の大きさで報じた。「少しでも日本への理解が深まれば」と亡くなる直前まで教壇に立ち続けたセンセイ。彼との出会いは、私の人生の宝である。 (日本文学研究者)

◆<担当記者>「日本文学」の知の泉  

 日本文学研究者ドナルド・キーンさん(94)の連載「東京下町日記」が今月で通算五十回目を迎えた。二〇一一年三月の東日本大震災を契機に日本国籍取得を決意したキーンさんは、翌一二年三月、日本人に。同年十月に始まった連載で日本への思いを、時にやさしく、時に厳しく語った。連載の担当記者として触れたその世界は、日本文学研究を通じて醸成された知の泉のようである。

 永井荷風に谷崎潤一郎、さらには川端康成に三島由紀夫。それだけではない、安部公房に司馬遼太郎−。キーンさんと親交のあった大作家たちだ。教科書に載っているような人物たちとの私的なやりとりや裏話をさりげなくしてくれた。

 「荷風は、私が英訳した自著『すみだ川』に誤訳があったが、よくできているとほめてくれた」「三島の遺作は自決した日に書き上げたとされているが、その三カ月前に原稿はあり、私に読ませようとした」

 英訳した日本文学は近松門左衛門、松尾芭蕉といった古典から三島、安部といった近現代まで幅広い。また、足利義政や明治天皇といった歴史の変革期に生きた人々の評伝を次々と書いた。日本人、日本文化への造詣の深さには、ただただ圧倒されるばかりだった。

 そんな知の巨匠の原点は太平洋戦争にある。米海軍の通訳士官として従軍したキーンさんは、旧日本軍の玉砕を目の当たりにした。戦前、「安かった」というだけの理由で買った英訳版「源氏物語」で感じた繊細な美の世界とは相いれず、理解できなかった。日本文学研究は、その答えを求める旅でもあるようだ。

 東日本大震災と福島原発事故が人生の転機になった。「日本から多くの外国人が逃げ出し、腹立たしかった。私は今こそ、日本人と一緒に生き、一緒に死にたい」と片道航空券でニューヨークから東京へ。

 「外国人の時はお客さんなので遠慮したが、日本人なのだから言いたいことを言う」とキーンさん。連載では日本文学はもちろん、独自の視点から戦争と平和憲法、原発、五輪報道なども話題にして、読者からは共感の手紙が相次いだ。五年前にニューヨークの自宅を引き払ってから英語を使う機会は減ったが、たまに使うと周囲から「日本人なのに英語がお上手」とほめられて大笑いするキーンさん。「まだ、日本には分からないことがある」と旅を続けている。 (鈴木伸幸)

 

この記事を印刷する

PR情報