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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

「勝敗」のない平和こそ

明治神宮にお参りをしたドナルド・キーンさん=東京都渋谷区で

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 部屋の書棚を整理していたら、私にとって貴重な文書が見つかった。七十四年前に、私が初めて日本語で書いた読書感想文だ。米海軍日本語学校を卒業後、初めての任地となったハワイで、勤務の合間にハワイ大学に通った。課題図書は菊池寛の「勝敗」。日本語で読んだ初めての長編小説だった。拙い感想文だが、その後の長い日本文学研究の原点。新年を迎え「初心忘れるべからず」というおぼしめしかもしれない。

 薄茶色に焼けた感想文は、大学ノート二枚に縦書きで、後で手が入れられるように行間を一行空けて書いてあった。「勝敗」は昭和初期の東京が舞台。まだ貴族院があり、女性の自立が難しい時代。急逝した子爵の一人娘と婚外子の娘二人の三人が織りなす人間模様が描かれている。

 私は「この先がどうなるのか」と予想しながら読み、意外な展開と心理描写に感心したことを書いていた。大した内容ではないが、「傀儡(かいらい)」「嫉妬」といった難しい漢字も使っていて、日本語を習い始めて一年にしては及第点だろう。

 この感想文を書いた当時、私はホノルルの陸海軍合同情報局に勤務していた。主な任務は日本軍の文書の翻訳。陸海軍合同だったのは、陸軍の日系人を使うためだった。海軍は日系人を入隊させず、陸軍兵であっても日系人は海軍基地に入ることを許さなかった。だから、海軍基地の敷地外に合同情報局を設けた。明らかな差別だった。

 ハワイや米西海岸には日系人が多く、戦時中は日系人の強制収容所が作られた。私の教え子で元ハワイ大准教授のミルドレッド・タハラの家族のように、何ら日本軍と関係がなくとも収容された。日本への思いから、収容されたままの人たちもいたが、米国へ忠誠を誓い、米軍に志願する人たちもいた。欧州戦線で勇猛果敢に戦い、歴史に名を残した日系人部隊の陸軍第四四二連隊も生まれた。

 私が所属した合同情報局にも、ヘンリー・ヨコヤマやドン・オカといった日系人がいた。二つの母国のはざまに揺れ、志願しながら差別され、心境は複雑だっただろう。オカは七人兄弟で、そのうち五人は米兵、二人は日本兵として第二次世界大戦に参加した。オカと日本兵の弟は同時期にサイパンにいて、弟はそこで戦死した。戦争は勝敗に関係なく、人々を傷付け、その傷痕は消えない。

 昨年末、安倍晋三首相がハワイの真珠湾を訪問し、戦没者を慰霊した。安倍首相の保守的な政治手法は好きではないが、「寛容」「和解」といった思いが感じられ、慰霊自体は評価していいと思う。問題は、これからどうするかだ。

 ハワイ時代に感想文を書いた「勝敗」では、子爵の一人娘と婚外子が醜い争いの末、婚外子の一人が精神障害をきたし、一人娘は争いのむなしさに打ちひしがれる。戦争ならなおさらだ。真珠湾の教訓は、再び誰にも銃口を向けず、武力行使をしないこと。争いのない平和こそが勝利である。 (日本文学研究者)

 

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