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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

異質ではない日本

映画「沈黙」を鑑賞に訪れたドナルド・キーンさん(左)と息子の誠己さん=1月26日、東京・有楽町で

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 気になる映画があったので見てきた。キリスト教が禁じられた江戸時代、長崎を舞台に、ポルトガルから密入国した司祭の苦悩を描いた「沈黙−サイレンス−」だ。私は原作者の作家、遠藤周作さんと親交があり、原作を半世紀以上も前に読んでいた。江戸時代の日本に関心があったので、ポルトガルなどからの宣教師が母国へ書いた手紙も、かなり読んだことがある。

 「沈黙」は、捕らわれた司祭が信者を拷問から救うには踏み絵という、究極の選択を迫られる物語だ。考えさせられる内容だった。ただ、引っ掛かったことがある。司祭に棄教させようとした、長崎奉行の井上筑後守の考え方だ。井上は日本を「泥沼」と表現して異質性を強調し、キリスト教の種はまけても根付かないと主張した。

 そういう見方もあるかもしれない。日本でキリスト教信者は一時、三十万人にも増えたが、中にはポルトガルとの交易を考えての表面的な信者たちもいた。江戸幕府が禁じると、棄教が相次ぎ、キリスト教は下火になった。映画の中でも、井上は元信者の設定だった。井上は日本人の物の見方、考え方は独特で、外国の宗教を理解できず、逆に外国人はその日本人を理解できない、と繰り返した。

 果たして、そうだろうか。日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師ザビエルは最初、彼らの「神」をどう表現すればいいか分からず、「大日」としたら、大日如来と勘違いされて「外国でもそうですか」と言われた。ラテン語の「Deus(神)」を使ったら、日本人には「ダイウソ(大うそ)」と聞こえて、失笑された。布教活動は試行錯誤の連続だっただろう。

 だが、日本に二年滞在したザビエルは「日本人はわれわれによく似ている国民である。同程度の文化を有する」「自分にとってポルトガル人よりも親しい民族は日本人だ」とまで手紙に書いていた。禁教令で、六千人もが殉教したとされるが、そんな例は他に聞いたことがない。今も、少数ながら当時の隠れキリシタンの流れをくむ信者がいる。これは、日本人を理解した外国人や、キリスト教を理解した日本人がいたことの証明といえる。

 私が日本文学研究を始めたころは、欧米に日本文学は知られていなかった。私の使命は日本文学の宣教師として、その素晴らしさを世界に伝えることだった。今や日本文学は世界中で読まれ、「沈黙」を撮ったマーティン・スコセッシ監督も私の本で日本について学んだという。日本や日本人は特殊でも異質でもなく、国際的に理解されている。

 私の教え子で米ブリガムヤング大学教授のバン・ゲッセルは「侍」や「深い河」など多くの遠藤さんの作品を英訳した。ウイットに富んだ彼の英訳もあって、遠藤さんは一時、ノーベル文学賞候補に挙がったそうだ。映画「沈黙」は残酷なシーンが、私の趣味には合わなかったが、その制作に関わったバン・ゲッセルと久しぶりに話がしたくなった。 (日本文学研究者)

 

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