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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

米百俵 何よりも教育

日本に帰化して5年。春めいた陽気の中、自宅近くを散策するドナルド・キーンさん=東京都北区で

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 日本文学の宣教師」として、その素晴らしさを世界に広めることを使命としている私に、うれしいニュースがあった。米百俵を学校に変えた明治時代初期の戯曲で、貧しくとも将来のために教育に投資する重要性を説いた「米百俵」が、中米ホンジュラスで評判となっているそうだ。それが縁で、日本の援助を受けながら教育環境の改善が図られているという。

 小泉純一郎元首相が二〇〇一年に演説で取り上げて、全国的に知られるようになった「米百俵」。私が英訳したのは、その三年前だ。それをホンジュラスの文化大臣がスペイン語に重訳して、同国で広まったという。「米百俵」の精神は、発展途上国を中心に多くの国に受け入れられていて、バングラデシュなどでも舞台上演された。英訳者として、うれしく思っている。

 「米百俵」の作者、山本有三さんには、彼が一九七四年に八十六歳でお亡くなりになる数年前に、お目にかかったことがある。「米百俵」は新潟県長岡市に伝わる史実が基だ。窮乏していた長岡藩に救援の米百俵が届いた。藩士は喜ぶが、指導者の小林虎三郎は猛反発を受けながらも米を売り、それを資金に学校を開設したという実話を、山本さんが戯曲にした。

 その精神に、私はもろ手を挙げて賛同する。母子家庭で育った私は、二九年の世界大恐慌の影響もあって、経済的に厳しい少年時代を送った。奨学金がなければ大学進学は無理だっただろうし、その後の英ケンブリッジや京都への留学も考えられなかった。教育に投資してくれる社会環境が私を育ててくれたのだ。

 ところで、「米百俵」の精神を海外に輸出している日本では、最近、子どもの貧困が問題になっている。他の先進国と比べて、日本は国家予算における教育費の割合が低く、家計に占める教育費負担の割合が高い。奨学金制度も改善の兆しはあるが、依然として貧弱。親の経済力で子どもが受けられる教育に格差が生じることは望ましくない。それこそ政治の出番だ。

 理解に苦しむのは財政難といいながら、一方で気前よくお金を使っていることだ。特に二〇二〇年の東京五輪関連の開発事業。五輪を目指して日々、研さんする選手には罪はなく、むしろ被害者なのだが、膨らむ開催費用を嫌って米ボストンのように五輪招致をやめる都市も増えている。しかも、日本では六年前の東日本大震災や原発事故の被災者救済や復興は不十分なままだ。それなのに、まるで発展途上国が公共事業を急ぐかのように、五輪の事業ばかりが進められている。

 大切なのは競技場といった器ではなく、人々の記憶に残る、筋書きのないドラマであり選手の汗と涙であるはず。どうも、ちぐはぐに感じるのだ。

 米百俵には「国がおこる(興る)のも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある」と書かれてあった。何よりも人。未来ある子どもには教育である。 (日本文学研究者)

 

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