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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

色あせぬ72年前の忠告

米コロンビア大で講演するドナルド・キーンさん(右)とテッド・ドバリーさん=2015年、ニューヨークで

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 太平洋戦時中に米海軍日本語学校で一緒に学んだ、私の大親友で米コロンビア大名誉教授のテッド・ドバリーが先月、亡くなった。享年九十七。地元紙ニューヨーク・タイムズは、ちょうネクタイをつけたテッドの写真と大きな訃報記事を掲載した。記事によれば、テッドは最後まで教え続け、春学期の講座「アジア人文科学」の受講者を評定してから、眠りについたそうだ。彼らしい最期だった。

 ニューヨーク生まれのテッドは、奨学生としてコロンビア大で学び、そこで教壇に立ち、名誉教授になった。彼が一九五六年に最初に英訳した日本文学は井原西鶴の「好色五人女」。彼もまた、私と同じように日本文学の素晴らしさを世界に紹介した一人だ。

 振り返るに、彼との一番の思い出は、十一年前に出版した一冊の本「昨日の戦地から」に凝縮されている。終戦直後に日本各地や北京、ソウルなど東アジア各地に派遣された私たち海軍語学将校の書簡集だ。

 四五年八月十五日に終戦を迎え、テッドは東京に、私は中国の青島に派遣された。「歴史の重要な岐路を目撃している」という共通認識があった私たちは、何らかの形で見聞録を残そうと考えた。思い付いたのが、お互いに手紙に書き、それをまとめることだった。共通の友人だった、後の同志社大教授のオーティス・ケーリや、駐ビルマ米国大使になったデビッド・オズボーンら七人を巻き込んで、手紙を送り合った。

 本に収められたテッドの手紙を読み返すと、終戦直後の東京の息遣いを感じる。空襲で廃虚と化した東京にテッドは「再建には何十年とかかるだろう」と暗たんたる気持ちになったそうだ。それでも、米国人に敵意を示さない日本人に救いを感じたという。日本人は戦争に心底疲れ、終戦に安堵(あんど)していたからだろう。

 テッドは街を歩いては日本人に話し掛けた。するとたちまちに人垣ができ、「米国人とはどんな人なのか」「世界はどうなっているのか」と聞かれた。東条英機元首相も話題に上った。人々は「もう誰も元首相を相手にしない」と蔑視した。だが、戦争初期には熱狂的に支持しながら、終戦後に罵声を浴びせることに苦言を呈する、冷静な人も少なからずいたという。

 ハワイの日本人捕虜収容所に勤務したことがあるテッドは、知り合った捕虜の無事を知らせようと家を訪ねた。そこで会った、実年齢より明らかに老け込んだ妻は喜ぶより、驚くばかり。その反応に戦争に翻弄(ほんろう)された一家の歴史を感じ、やるせなくなったそうだ。

 手紙には気になる一文があった。「日本人が上からの命令に頼る性質を清算しなければ、ある一つの独裁政権から別の独裁政権に移行する可能性がある。連合軍からの布告がなければ何もできないようでは、日本国民が政治的自立に向かって歩き出すとは思えない」。七十二年も前の忠告なのだが、日本国民は自立できたのか。五年前に日本人になった私には確信が持てない。 (日本文学研究者)

 

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