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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

「徒然草」に見る美意識

別荘でくつろぐドナルド・キーンさん。机上のタイプライターで50年前に「徒然草」の英訳文を打った=長野県軽井沢町で

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 私は毎年、夏を軽井沢の別荘で過ごしている。別荘といっても、うっそうとした雑木林の中にある古くて小さな木造平屋建て。「庵(いおり)」といった方が適当だろう。周りには何もなく、聞こえるのは風の音に鳥の鳴き声ぐらい。昼間でも薄暗く、夜には真っ暗になる。本を読み、物思いにふけるには絶好の場所だ。

 ちょうど五十年前だ。今年のように雨が多い夏だった。毎日、シトシトと響く雨音を楽しみながら、私は兼好法師の「徒然草」を翻訳していた。数多くの日本文学を翻訳した私だが、それは苦労の連続だ。そもそも、日本語にあって英語にない言葉がある。読み手が分かる英文でなければならないし、文学的な味わいも必要だからだ。

 ところが、「徒然草」は違った。「つれづれなるままに」で始まる序段を含め二百四十四段の随想に私はことごとく共感し、翻訳ではなく、まるで自作を書いているかのような錯覚に陥った。次々に英文が頭に浮かび、タイプライターをたたくことが喜びだった。

 私が古典を愛する理由の一つはその普遍性だ。「徒然草」の各段には矛盾もあり、一貫した哲学があるわけではないが、日本人の美意識についてこれほど見事に書かれた作品はない。

 例えば、八十二段に「どんなものでも、全て整っているというのは望ましくない。未完の部分があってこそ趣があり、そこに成長の余地を感じさせる」とある。いわば「不均整」の美だ。備前や信楽といった陶器も、愛好されるのはゆがんで凸凹のある作品。造園にもいえる。西欧では対称性を求めるが、日本では不均整が重要な要素だ。

 また、仏教の影響があるのだろうが、兼好は物欲に対して否定的だった。「(醜い相続争いが起こるから)死後に財宝を残すようなことを賢者はしない」「毎日の暮らしに必要なものがあれば、ほかには何もないほうがよい」(百四十段)

 それは「簡素」の美に通ずる。十八段に「趣味は簡単なのがよい」とある。それは、茶の湯に象徴される美意識。香辛料やソースによる味付けを避け、素材の外見と味を生かす日本料理にも垣間見られる。

 そして「無常」の美。「かりそめのもの、うつろうもの」が美に欠くことのできない要素だと信じていた兼好は「世はさだめもない無常なのがよいのである」(七段)と書いた。日本人が桜を好むのも、一気に開花しては散る、うつろう美しさゆえ。引きつけられるのは、美しさよりもはかなさにある。

 ところで、この「徒然草」が読まれるようになったのは、兼好が亡くなって百年余りの「応仁の乱」の時代。乱世に、生き方の根底にある美意識を確認したくなったのだろう。最近、「応仁の乱」の関連本が売れていると聞くが、それは国内外が激動するこの時代性と無縁ではないはずだ。そんな時には、美意識もまた問われる。今こそ、十四世紀に書かれた「徒然草」を再評価すべき時かもしれない。 (日本文学研究者)

 

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