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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

日本文学研究は運命

「ドナルド・キーン」の名を冠した大型本に目を通すドナルド・キーンさん(左)と養子の誠己さん=東京都北区で

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 今年、九十五歳になった私に、思わぬプレゼントがあった。いずれも、書名は「ドナルド・キーン」の大型本が二冊、別々の出版社から相次いで出された。ともに表紙には私の顔写真が掲載され、ページをめくれば、私の足跡が詳録されている。同じ年に、こうした本が二冊も出ることは珍しいそうだ。面はゆいが、小さな幸せを感じている。

 最晩年を迎え、日本文学の研究を続けてきてよかったとつくづく思う。だが、振り返ってみれば、私が研究したのではなく、日本文学が私を導いてくれたように感じるのだ。私が日本文学に関心を持ったきっかけは「源氏物語」の英訳本だった。それを買ったのは、セールで安かったから。それ以外に理由はなかった。

 米海軍語学校で日本語を学び、語学将校として従軍した。だが、日本は太平洋戦争でほぼ壊滅。終戦時には「復興に五十年はかかる」と言われていた。日本語を使えても職はなく、大学に日本文学を教えるポストなどなかった。

 退役後、約千人いた同窓生の語学将校は、ほんの一部を除いて日本語に興味を失った。私に会うと「日本語は忘れた」と幾分か誇らしげに話すほどだった。私が米コロンビア大学に復学して、日本文学研究を続けたのは、何か明確な意思があった訳ではない。何となく、私の気質に合ってはいた。だが、それよりも、自分が何になりたいか分からず、あらゆる職業に魅力を感じなかったからだった。

 英ケンブリッジ大学への留学も、「日本文学研究では奨学金をもらえない」と思い、中東の言語を研究対象として企画書を書き、奨学生に選ばれた。日本文学研究ができたのは、担当教授の配慮にすぎない。何もいわれなければ、企画書通りの研究をしただろう。

 留学中にも、あれこれとあった。初めて出版した近松門左衛門の「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」の英訳本は不人気で、出版元から「今のペースでは印刷した千部の完売まで七十二年」と言われ、落胆した。もっと悲惨だったのは、日本文学の公開講座だ。講師に指名された私は、喜び勇んで二百人は入れる大講堂に向かった。ところが聴衆は十人ほど。しかも全員が友人、知人。「誰も来ないのでは…」と心配して来てくれたのだった。

 心が折れ、専門分野を変えようと思いもした。実際に、将来性のありそうなロシア語を学んだこともある。だが、どうしても頭に染み込まない。気が付けば、日本の文学作品を手にしていた。それが、私を癒やしてくれたのだ。

 戦後、日本は奇跡的に復興し、日本文学も世界中で読まれるようになった。その恩恵を多少なりとも受けている私は「よく日本の復興を見通しましたね」と言われたりもした。だが、そんな予想をしたことはない。ただ、「源氏物語」を読んで以来、素晴らしい日本文学の作品や作家との出会いには恵まれた。それがまるで運命の糸のように、今の私に一筋につながっているように感じている。

  (日本文学研究者)

 

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