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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

両陛下の憲法への思い

おせち料理と長寿祈願の手作り人形を前に笑顔を見せるドナルド・キーンさん=東京都北区で

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 皇居での新年恒例の一般参賀に、平成で最多の十二万六千七百二十人が訪れたそうだ。来年四月末での退位が決まってから、初めての新年だったからだろう。両陛下が天皇、皇后として最後の一般参賀となる来年一月には、もっと多くが集まるはずだ。私は両陛下が広く国民に愛され、尊敬されていることを再認識しているところである。

 天皇陛下に初めてお会いしたのは、皇太子時代の一九五三年だった。エリザベス女王戴冠式に出席のため訪英した皇太子殿下がケンブリッジ大学を訪れ、同大に留学中だった私が案内役を務めた。それ以来、折々にお目にかかっている。

 両陛下とも、いつも穏やかで、話題も豊富な素晴らしい方々だ。いろいろと話をお聞きしたが、印象深いのは、太平洋戦争直後の天皇陛下の思い出である。戦時中、陛下は皇居にいたものと私は思い込んでいたが、疎開され、移動を繰り返されたそうだ。終戦後に皇居に戻る際に見た、焼け野原となった東京の惨状に心を痛めたと、お伺いした。

 その体験があるからだろう。陛下は、戦後の平和憲法に忠実であろうとしている。職業選択の自由や選挙権を持たず、政治的発言を許されない象徴天皇には、行動だけが意思表現の術(すべ)なのかもしれない。戦争を反省し、恒久平和を希求して、国内外の数々の激戦地を慰霊して回った。

 昭和天皇が天皇としては行けなかった沖縄には、皇太子時代の七五年に初めて訪問した。過激派から火炎瓶を投げ付けられても、沖縄で二十万人もが犠牲となったことに「一時の行為によってあがなえるものではなく…」と談話を出した。

 八九年の即位後、両陛下は毎年、全国戦没者追悼式に出席し、広島と長崎も訪れた。戦後六十年の二〇〇五年には米自治領のサイパン島を、同七十年の一五年にはパラオのペリリュー島を訪問した。ご高齢で持病もある体には、大変な負担だっただろう。

 慰霊の旅だけではない。九一年に噴火した雲仙・普賢岳や九五年の阪神大震災などの被災地には必ずお見舞いに出向いた。一一年の東日本大震災では、避難所の体育館で両陛下はひざまずき、被災者と同じ目線で声を掛けていた。

 昭和までと比べて、今上天皇は革命的といっていいほど違う。戦没者や被災者への思いを率直に語られ、小学校で子どもに話し掛けられたりする。それも、易しい現代の日本語で誰にでも分かりやすく話す。

 私は九条で平和主義をうたう日本国憲法は、世界で最も進んでいる憲法だと思う。憲法に変わりうる点はあるだろうが、九条を変えることに私は強く反対する。その九条を両陛下は体現されているかのようだ。

 憲法には男女同権も明記されている。過去には存在した女性天皇や女系天皇を認めないのは、どういうことなのか。表現の自由を持たない両陛下の憲法への思いにこそ、私たちの忖度(そんたく)が必要ではないかと思う。

  (日本文学研究者)=編集・鈴木伸幸

 

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