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【鉄学しましょ】

横須賀線の蜜柑 土屋武之さん

写真

 芥川龍之介は1916年から19年にかけて横須賀海軍機関学校に勤務しており、鎌倉から横須賀線で通っていた。その帰路に出合った風景をつづった小説が「蜜柑(みかん)」。上り列車が短いトンネルをいくつもくぐっては抜ける様子が、効果的な舞台装置として描かれている。今も田浦を過ぎて東逗子の手前まで、車窓は明暗を繰り返す。最初の長浦トンネルを抜けてすぐの線路脇にある吉倉公園(横須賀市)には「蜜柑」の文学碑=写真=があり、列車からも見える。

 2等車(現在のグリーン車)車内の物語だが、座席がロングシートであったような描写などがあり、大正の初めごろに量産されていた鉄道院の標準型木造客車であろうことが想像できる。横須賀軍港に通じる軍事路線だから、新鋭車が投入されていたのだ。長椅子が向かい合う車両が2等とは現代の感覚では奇妙であるが、当時の客車は小型。そういう構造の方がゆったり座れた。

 まだ蒸気機関車けん引の時代だったが、少女が窓を落として開け放しても、この区間ではばい煙も極端にはひどくなかったらしい。弟たちに向かって投げられた蜜柑の色のあざやかさに、芥川はむせ返った怒りも忘れ、息をのんだのである。

 

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