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【鉄学しましょ】

マンボウと仙台市電 土屋武之さん

写真

 歌人の斎藤茂吉は次男宗吉に医者になることを厳命し、1948年に東北大学医学部へ入学させた。後の北杜夫だ。父の意に反して小説家となり、旧制松本高校から大学にかけての思い出を「どくとるマンボウ青春記」として上梓(じょうし)している。

 76年に全廃されるまで仙台には市電が走っていたが、彼の最初の印象は「妙なもの」であった。前後2カ所の出入り口の片方から乗り、もう片方から降りなければならない決まりを、「おそらく電車を擬人化して、口と尻をわけたのであろうか」と、ユーモアを込めて不思議そうに記した。ワンマン化以前の話である。

 数年後、仙台を訪れた叔父にもこの決まりを手紙で注意したが、当惑され叱られただけに終わった。この間、前後どちらから乗り降りしてもよいことに変わっていたのだ。モハ1形=写真(上)=のような小型木造車ばかりだった仙台市電に48年、初の大型車としてモハ100形=写真(下)=が導入されたことによる変更であろう。車体が大きいと、車内を前後に移動しにくいからだ。

 乗り物好きでもあった北だが、あまりの急激な変化についていけなかった悩ましさが、行間からにじみ出ている。

 

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