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【タイムライン】

木村沙織 戦いきった 引退バレー人生「いつ辞めてもいいと思っていた」

時に涙を浮かべながら引退を発表する木村沙織=大津市の東レアリーナで

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 長く日本のバレーボール女子を引っ張ってきた木村沙織(30)=東レ=が、コートから去った。3月22日にいつも練習している東レアリーナ(大津市)で記者会見し、引退を改めて発表。1時間以上にわたってこれまでの競技人生を振り返り、バレーへの思いを語った。その言葉からは、17歳から背負い続けた日本代表への強い責任感とともに、常に重圧と戦っていたこともうかがえた。 (平松功嗣)

 「試合に負けて悔しいという気持ちが薄れてきた。アスリートである限りは、勝負にこだわらないといけない」

 引退理由を問われて、こう答えた。銅メダルを獲得したロンドン五輪後からその思いがあり、「こんなんじゃダメだな」と思い始めたという。

 日本代表に選ばれた高校時代から、ずっとバレーボールを生活の中心に置いてきた。

 「今までは何があってもバレーが一番。そのあとに家族とか自由とかがあった。それが当たり前で、その順番を変えたいとも思っていなかった。引退すると決めてから、その順番を変えられるんだなっていう気持ちになった」

 家族よりも、自分のしたいことをする自由よりも、バレーボールが優先。その順番を変える時は、競技を辞める時だと、今では感じている。

 「これから何があるか分からないけど、世界と戦うことはもうないと思う。勝敗にこだわらなくていいというのは、すごく安心している」

 引退を決断した今の率直な気持ち。バレーボールで世界に勝つことだけのために、生きてきた。それが自らの望みであったとはいえ、その重圧も相当に大きかっただろうことは想像に難くない。

 「常にいつ辞めてもいいと思ってやっていた」

 高校卒業を控え、進路を決める時に、母親に言われたひと言を覚えているという。「バレーがすべてじゃないから、大学を選んでもいいよ」。トップ選手として、決められた道を歩まざるを得ないとも考えていたが、そう言われて「自分の意見を言っていいんだ」と気付いたという。

 母の言葉で、楽になった。「人生、バレーボールだけじゃない」と思いながら、バレーボールに取り組んできた。そういう開き直りがあったからこそ、重圧の中でも続けられたのかもしれない。

 「それで、逆に長くできたのかなと思う。その時その時で精いっぱい、悔いなく戦ってきた。常に本気でできていた」

 今は何も思い残すことなく、ユニホームを脱ぐ。

 「これからは一番を家族に。家族旅行もしたい。一日中家にいて片付けしたり、スーパーに買い物に行ったり、ご飯を作ったり。そういう時間が今は楽しい」

 心から安心しきって送れる生活を満喫するつもりだ。

◆「エースと思ったことない」理想追い続け

 2012年のロンドン五輪前に聞いた木村の言葉が、ずっと心に残っている。

 「昔から自分がエースだと思ったことはない。中学の時も、高校の時も」

 誰もが日本のエースと認めていた。だが「どんなに難しいトスでも絶対に点を取るのがエース」と自ら求める理想像に、追いついていないというのだった。

 そのロンドン五輪。真鍋政義監督に「おまえが勝たないと、チームも勝たない」と言われた。その言葉に「みんながつないでくれたボール。気持ちを込めて打とう」と気を引き締めた。それは「エースとしての自覚」ではなかったか。木村の活躍もあり、銅メダルを獲得した。

 3位決定戦で韓国に勝った直後、興奮冷めやらぬ木村に「自分がエースと思えたか」と尋ねたが「まだまだですよー」と笑顔で返された。当時の思いについて「エースという感じではなかったが、チームが勝つために腹をくくった」と今は振り返る。

 昨年のリオデジャネイロ五輪では、主将として臨んだ。若い選手や五輪が初めての選手に寄り添い、萎縮することなく実力を存分に出せるチームを目指した。結果は8強止まり。「一番苦手な厳しさという部分が足りなかったかな。自分に対してはいくらでも厳しくできるけど、人に対して厳しく言うのが難しくて」。仲間にはどうしても優しさが出てしまう。木村らしい反省の弁だ。

 競技人生を終えた今、改めて聞いた。自分が「エース」と思えた時はあったのか。

 「ないですねー」

 やっぱり。愛らしい笑顔で答えてくれたが、自分に厳しい態度は最後まで変わらなかった。 (平松功嗣)

自ら描いたラベルを貼ったペットボトルを手にする木村沙織

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◆感謝のARIGATOUボトル

「ARIGATOU またね!」と書かれたラベル

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 会見場で配られた水のペットボトルには、木村が描いたイラストと言葉がデザインされたラベルが貼ってあった。「ARIGATOU」。周囲の人への感謝の気持ちが込められていた。

 引退後は「専業主婦」になる。「のんびりとほんわかと、あったかい幸せな家族が築けたらいい」。今のところ、現役復帰や指導者など競技の現場に残る気持ちもない。「今は一線から外れて、一ファンの目線でバレーを観戦したい気持ちが強い」という。

 ただ、ペットボトルには「またね!」という文字。「いつかバレーに戻ってくるのか」と問われると笑って否定し、「『またね!』って書かない方が良かったかな。『さようなら!』で」とちゃめっ気たっぷりに話した。

◆17歳で日本代表に

<きむら・さおり> 1986年8月生まれ、東京都出身。小学2年からバレーボールを始め、下北沢成徳高時代に17歳で日本代表に招集された。2004年のアテネから16年のリオまで4大会連続で五輪に出場。10年の世界選手権の銅メダル獲得など、他の世界大会でもチームに貢献した。昨年10月にシーズン終了後の引退を表明し、年末には一般男性との結婚を発表した。

高校生でアテネ五輪に出場。チームメートの大友愛(左)と笑顔を見せる木村沙織=共同

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