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【ふくしま便り】

頑張れ わが町の一本松 南相馬市鹿島区の人々の願い

かしまの一本松

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 東日本大震災の復興のシンボルとなった「奇跡の一本松」といえば、岩手県陸前高田市のそれが有名だ。しかし福島県南相馬市鹿島区の右田浜海岸にも津波の被害から生き残った松が存在する。「かしまの一本松」と呼ばれ、地元の有志が守り続けてきた。ところが昨年から樹勢の衰えが目立ち始め、今、枯れ死の危機にある。「もう一度奇跡は起きないか」と祈るような期待が集まっているのだが…。

 福島第一原発からほぼ三十キロ。太平洋の荒波が打ち寄せる海岸に、一本松は孤高の姿をさらして立っている。

 高さ約二十五メートル、根回り約二メートル。葉はついているが、やや赤茶けている。幹は傷だらけで薬剤を塗った跡が痛々しい。

 あたりは原野だ。堤防の再建工事やかさ上げ工事のためにダンプカーが走り回っている。

 震災以前、一帯には五十数戸の民家があり、生活があった。これを守るように数万本もの松が林をつくっていた。しかし高さ十数メートルに達した津波に流されて、この松一本だけが残った。

 行政区長も務めた五賀和男さん(75)は「生き残ったのは私も同じなんだ」と話す。

 二〇一一年三月十一日。自宅から松林を越えて来る津波の白い波頭がはっきりと見えた。

 「たまたま見えたんだ。幸運だったとしか思えない」

 家族を促して高台に逃れたが、地域は壊滅した。

 平らな水田地帯で、高い建物といえば近くの野球場の内野席ぐらいだった。住民は走って内野席を目指したが、たどり着けなかった人は海に流された。五賀さんによると、この地区での死亡五十四人、行方不明十九人。

 「今も海を漂っている魂が、この松を見ているような気がする。生き残った人は、みんなが、そう思っていると思うよ。ほかには何もないんだから」と、五賀さんは、冬空に突き刺さる一本松を見上げた。

傷跡が痛々しい。右は五賀和男さん=福島県南相馬市鹿島区で

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 仲間と「かしまの一本松を守る会」をつくって会長となり、手入れを続けてきた。

 防潮堤防が壊れたために右田浜一帯は、海が荒れると潮水が押し寄せる。一本松の根の周りも海水に浸った。これではいけないと、排水路を掘り、土のうを積んで守った。もみ殻などの活性剤も与えた。

 そんな献身的な努力に応えるように、一本松は驚くほど強く、青々と葉を茂らせてきた。

 様子に変化が見えたのは、昨年九月ごろ。葉の色が赤く染まり、樹皮がボロボロとはがれるようになった。少し葉に青みが戻ったように見えるときもあるが、また悪化する。とうとう、樹木医に「水を吸い上げる力が弱っており、回復する可能性は低い」と宣告を受けた。

 「地震の後、もっと早く手入れをしてやればよかった。あのころは誰もが余裕がなかったんだが、できることはあった」と五賀さんは悔やんでいる。

 一本松が立つ右田浜一帯は災害危険地域に指定され、将来は防災林が整備されることになった。隣接地は脱原発都市を宣言している南相馬市のシンボルとして再生可能エネルギー基地として利用される。工事が進めば、枯れ死した一本松を切り倒す日が来るかもしれない。

 陸前高田市の一本松は、枯れ死した後に特殊処理されてモニュメントとして姿を残した。同じような保存法を取れば、一億円を超えるような費用が必要となり、現実味は乏しい。

 五賀さんらは、一本松のまつぼっくり二百個などを茨城県日立市にある森林総合研究所材木育種センターに託した。すると今春、三つの芽が吹いた。今は高さ十センチほどに育っている。

 一本松の子孫たちだ。

 もしも一本松が枯れたら、この子孫たちを育てていこうと考えている。記念碑を建ててやろうとも思う。しかし、まだ、あきらめられない気持ちが残る。

 「この松に、どれほど勇気づけられたか。地域の人は忘れられないんだ」

(福島特別支局長・坂本充孝)

 

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