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【ふくしま便り】

護憲のルーツは福島に 良心的兵役拒否者・矢部喜好牧師の系譜

「平和のための戦争展」で日本初の良心的兵役拒否者の矢部牧師を紹介する山崎四朗さん(右)と上野修一さん=福島県喜多方市で

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 参院選で、自民党などの改憲勢力が改憲の国会発議に必要な議席を獲得し、安倍政権がこの勢いで改憲に進む可能性が出てきた。だからこそ今、日本国憲法の価値を再認識しておきたい。平和の礎を簡単に捨てることがないように。

 日本国憲法の実質的起草者である憲法学者、鈴木安蔵(やすぞう)氏が福島県南相馬市出身であることは以前、本欄で書いた。実はもうひとり、平和憲法に関わる巨人を福島県は輩出している。日本人初の良心的兵役拒否者といわれる矢部喜好(きよし)氏である。

 参院選の最中の今月六日、喜多方市の厚生会館で「平和のための戦争展」が開催されていた。展示パネルの一角を占めていたのが矢部喜好氏の写真や年譜など。「これほど激しく戦争を拒絶した人が喜多方にいた。その事実が地元で知られるようになったのは、ここ数年の話なんです」と、いずれも元高校教師で「戦争展」を毎年開催している山崎四朗さん(76)、上野修一さん(77)が説明してくれた。

 矢部氏は一八八四(明治十七)年に喜多方市の山あいの蓬莱(ほうらい)で生まれた。父は材木商。会津中学に在学中、キリスト教に入信して伝道師を志す。当時は日露戦争前夜で国民の多くが戦争熱に浮かされていた。彼は仲間と「戦争は神の教えに背く罪悪である」とビラを配り、連夜、会津若松の町を練り歩いた。

 学校や家族は「学業に専念するように」と説得するが応じず、一九〇三年、雪の峠道を徒歩で越えて上京。東京で伝道者としての生活を始める。

 〇四年に日露戦争が勃発すると、補充兵として召集される。だが断固として入隊を拒否し、裁判に付される。当時の新聞は、わずか十九歳八カ月の少年が「神は人を殺さず、戦争は人を殺すなり、これは人が作りたる法律によりて負う義務なる故に、吾(わ)れは決して応ずる能(あた)わず」と主張したと伝えている。

 法廷には「国賊」「殴れ」と罵声が飛んだという。矢部氏は有罪となり、収監された後、看護兵として入隊。銃を持たぬまま終戦を迎える。これが日本初の良心的兵役拒否である。

 良心的兵役拒否はキリスト教の信仰に基づく反戦行動として米国で始まった。南北戦争中の一八六三年に、戦闘参加を免除する代わりに、金銭を支払うか、戦闘以外の仕事に従事できる法律ができたという。

 「最初の良心的兵役拒否−矢部喜好平和文集」の著作がある鈴木範久立教大名誉教授(81)によると、矢部少年は、良心的兵役拒否を意識して行動したのではなかったろうという。ただ教義を信じ、突き進んだ末に、たどりついた行動だったのだ。

 そんな信仰者が、なぜ平和憲法と関わりをもつというのか。

 矢部氏は日露戦争終結後、米国へ向かった。シカゴ大学などで神学の学位を得て十年後に帰国。滋賀県膳所町(ぜぜちょう)(現大津市)に教会を設立し、以後二十年間、伝道活動に励み、五十一歳で病没した。

 膳所時代には、雑誌に寄稿し、こんな言葉を残している。

 「永遠の平和を獲得するための戦争などとは痴人の夢」「剣をとる者は剣にて亡ぶべし」

 この教会で中学時代に学び、矢部牧師を師と仰いだのが、戦後の護憲運動の中心を担った田畑忍元同志社大学長だった。

 田畑氏が設立した憲法研究会には鈴木安蔵氏も参加。さらに田畑氏の講演「平和主義と憲法九条」に感動し、法学研究の道に入ったのが、土井たか子元日本社会党委員長だった。

 福島県九条の会代表でもある吉原泰助元福島大学長(83)は「矢部喜好は護憲のルーツといってもいい。氏の思想の源流には、福島に根付いた自由民権運動の伝統もあった。権力に抵抗し、民衆の側に立った先駆者の志を大切にしたい」と話している。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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