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【ふくしま便り】

御礼、引っ越しました 大熊町放牧牛のその後

引っ越しを終えて、牛に話しかける谷さん=福島県大熊町で

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 福島第一原発がある大熊町で牛たちが元気に暮らしている話を今年四月に取り上げた。原発事故で被ばくし行き場を失った牛たちを生かすため、ボランティアの谷咲月(さつき)さん(33)が放牧場を造ったが、引っ越しを余儀なくされたという話だった。その牛たちが五日、無事に新たな牧場へ移った。

 引っ越しはうだるような暑さの中で始まった。三年前に造った約一・五ヘクタールの牧場に飼われていた五頭をトラックで約二キロ離れた新しい牧場へ。電気柵で囲われた約三ヘクタールの水田跡に入れると、牛たちは元気いっぱいでススキなどの雑草を食べ始めた。

 「やっと再スタートです」と話す谷さんの声も弾んでいた。これまでの経過を振り返っておこう。二〇一一年三月の福島第一原発の事故で、大熊町は大部分が立ち入り禁止となった。町内で肥育されていた黒毛和牛は置き去りにされ、最初の数カ月で多くが餓死した。

 しかし自力で山に逃れ、生き延びた牛たちがいることが分かった。東京で会社員をしていた谷さんは、牛たちを生かすために無人となった大熊町で放牧することを思い立つ。牛を餌づけして集め、電気柵をつくり、悪戦苦闘の末、牧場をつくった。荒れ放題になった被災地の雑草を牛たちに食べさせ、里の景観を取り戻す。題して「モウモウプロジェクト」。「mow」は英語で「草を刈る」の意味だ。

 当初は牛たちを殺処分するように求めていた厚生労働省も居住制限区域外に出さないことを条件に飼育を認めた。ところが今年になって、大熊町は一部住民から要望があったとして牧場の閉鎖を指示。谷さんは町内の別の場所に用地を確保し、引っ越しをすることになる。

ボランティアも牛の引っ越しを手伝った

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 簡単な話ではなかった。新しい用地の外周に鉄パイプを打ち込み、電気柵を回す。人力で通路の草を刈り、牛舎や水場をつくる。男でも音を上げそうな肉体労働に小柄な女性の谷さんは連日、汗まみれ、泥まみれで取り組んだ。現地は帰還困難区域であるため、立ち入りには煩雑な申請が必要となる。これも一人でやった。

 彼女を支えたのは、全国から集まったボランティアだ。一日に二、三人程度だったが、熱心に通ってくれる人々がいた。

 引っ越し当日は、浪江町で約三百二十四頭の被ばく牛を飼う「希望の牧場」代表の吉沢正巳さんがトラックを提供した。「被災地域にはまだ五百五十頭余りの被ばく牛がいる。無駄に殺さないために谷さんのやり方も一つの方法ではないか」

 東京都世田谷区で動物病院を営む獣医師の天野芳二さんら、動物保護活動に取り組む人々も応援に駆けつけた。愛知県蒲郡市から来た宮地宏和さん(61)は夫婦で活動に参加しているという。そんな善意が集まって、こぎ着けた引っ越しだった。

 用地を提供した女性は、農業をしながら三人の子どもを育てた。今は郡山市の復興住宅に単身で住む。「この家にはたぶん帰らないけど、ここに来て作業を手伝っていると本当に楽しい。大勢で野良仕事をした震災前に戻ったみたいだ」と話す。

 食用にできない牛を生かすことを非効率と考える人がいるかもしれない。しかし、小さな命もないがしろにしない精神の向こうに、人に優しい、実のある復興があるのではないか。

  ×  ×  ×

 谷さんが代表理事を務める「ふるさとと心を守る友の会」では寄付、ボランティアを募っている。連絡先はEメール=friends.humane@gmail.com (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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