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【ふくしま便り】

被災地を河津桜の里に 南相馬市小高区の人々の夢

津波被災地に立つ佐藤さん=福島県南相馬市小高区で

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 昨年七月に避難指示が解除された福島県南相馬市小高区で、今春、早咲きの河津桜の苗木が花を付けた。ほんの数輪の花ではあるが、特別な意味を持っている。「何もなくなったこの町を、いつか東北一の河津桜の里にしてやろうと思うんだ」。「おだか千本桜プロジェクト」の佐藤宏光さん(64)が夢を語る。落胆と絶望の淵からようやく見えた一筋の光、それこそが濃い桃色に輝く河津桜の花だ。

 古い城下町の中心部を小高川が流れている。堤防の上にソメイヨシノが並んでいるが、東北の春は遅く、咲き誇るのは例年四月二十日ごろになる。

 まだ冬色の堤防の斜面で、佐藤さんが「ほら、咲いているよ」と子供のような声をあげた。

 見ると、高さ一メートルほどの河津桜の先に花が付いていた。二年前に植えた苗木だそうだ。

 「見栄えがするようになるのは五年目ぐらいからか。将来は三月の初旬には花見ができるよ」とうれしそうに話した。

 小高区は福島第一原発から北へ二十キロの位置にある。事故の直後に南相馬市の三つの区の中で、唯一、警戒区域に設定された。このためすべての住民は避難を余儀なくされ、五年四カ月の間、ほぼ無人の町となった。

 佐藤さんたちが、町に千本の河津桜を植えるプロジェクトを発足させたのは原発事故から四年後の二〇一五年三月だった。

 「何かをしたい。そればかりだったんだな。震災以前は、十人ほどの仲間たちと山や海の不法投棄ゴミを処理する活動をしていたんだ。ところが放射能で山も海も立ち入り禁止になった。メンバーは避難でばらばらになった。故郷はぼろぼろになり、憂鬱(ゆううつ)なことばかりだ。それで思い付いたのが、昔の小高にはなかった河津桜だったのよ」

 佐藤さん自身の生活も追い詰められていた。南相馬市の中心部で家電販売店を経営していたが、町に人がいなくなり、廃業同然に。復興関係の電気工事を請け負ってなんとかしのいだ。

 海岸部にあった自宅は津波で半壊した。家族を隣町に避難させ、自分は一時帰宅と称して、崩れかけた自宅に寝泊まりし、床や壁を直した。放射能汚染を恐れて、無人の町に来てくれる建築業者などはなかった。

 「人恋しくてさ。パトロール隊が来ると、うれしいのさ。野良猫だけが話し相手だった」

 頭に浮かんだのが、南伊豆の静岡県河津町。小高と差がない小さな町に、毎年二、三月の「河津桜まつり」には百万人も観光客が集まると聞いた。仲間と河津町まで視察に出掛けた。

 堤防に植樹をするためには煩雑な許可申請が必要になる。周辺住民の同意もいる。ファイルに何冊もの書類を作り、協賛金を募り、その年の十二月に第一回の植樹会にこぎ着けた。以来、年二回の植樹会を続け、植えた苗木は五百十本になる。

 小高区の避難指示が解除となって今月十二日で九カ月。約一割の住民が帰還し、JR常磐線が復旧。この春、小高駅から高校に通学する生徒の姿が見られるようになった。小学校にも四人の一年生が入学した。

 震災前のにぎわいとは比ぶべくもないが、再生への小さな芽が育ち始めたのは間違いない。小さな河津桜の花は、その象徴と思いたい。

 「赤い桜並木の下に行列ができて、露店が並んで…。そんな光景が目に浮かぶ。放射能の町というレッテルは、ずっと消えないのかもしれない。だったら、考えても仕方がない。そんなイメージを吹き飛ばすような、新しい魅力的な町をつくるのが大切なんだ。震災を経験した者たちが礎をつくって、若い世代にバトンタッチしてけばいい」

 佐藤さんは、元気を振り絞るように、そう話した。

  ×   ×  ×

 植樹会は毎年十二月と二月。参加希望者は、佐藤さん=電090(2797)0847=へ。  (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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