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【ふくしま便り】

自白重視は時代の逆行 「松川事件」元被告が語る共謀罪

「日本の民主主義は大丈夫ですか」と語りかける阿部市次さん=福島市で

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 犯罪に合意したことを処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の審議が始まった。この法案で最も看過できない点は、捜査対象を「組織的犯罪集団」に限定すると言いながら、その範囲を曖昧にとどめているところだ。まるで「権力は善」が前提であるかのよう。しかし歴史を振り返れば、権力は暴走する。戦後最大の冤罪(えんざい)事件といわれる「松川事件」の元被告として一度は死刑判決を受けた阿部市次さん(93)が福島市内で健在だ。身をもって知らされた暴走権力の恐ろしさを聞いた。

 阿部さんは自宅で、記者の訪問を居ずまいをただして待っていてくれた。

 「少し耳が遠くなりましてね」とはいいながら、事件については恐るべき正確さで語る。

 一九四九年九月二十二日。二十六歳だった阿部さんは、福島市内の共産党支部に来た警察によって身柄を拘束された。

 同八月十七日、福島市松川町の東北線で、列車転覆事故が発生し、機関士ら乗務員三人が死亡した。阿部さんの逮捕容疑は、この二日前に国鉄労組福島支部事務所内で他の四人と事件の謀議をしたとされた。

 もとより覚えはなく、否認するが、翌年十二月、福島地裁は阿部さんら五人に死刑の判決を下す。その日の記憶は鮮明だ。

 「判決の途中で有罪だとわかり、私たちは抗議をしたのです。このため強制退去で拘置所に戻された。死刑と知ったのは午後十一時ごろでした。父や妹が弁護士とともに面会に来て『死刑だというが二審がある。心配するな』という。まさか、と暗然たる気持ちになりました」

 阿部さんは福島市生まれ。国鉄に就職し、車掌として勤務していたが組合活動にも熱を入れた。「当時の国鉄上層部の腐敗は目に余った」。運動の一環として職場放棄をし、懲戒解雇処分を受けた。その後は共産党福島市委員長として機関紙の配布の手伝いなどをしていた。

 検察の主張はあいまいだったが、二審・仙台高裁判決も被告二十人のうち十七人を有罪とした。阿部さんは一審で死刑判決を受けた五人のうち、ただ一人、無期懲役に変わった。

 しかし、最高裁は仙台高裁に差し戻しを命じ、最終的に六三年九月、被告全員の無罪が確定した。

 阿部さんは無罪が確定する前の五九年五月に保釈されたが、十年近く拘置所に留め置かれた。「理由もなく男盛りの時代を奪われた悔しさは言葉にできない」と、柔和な表情をこのときだけはゆがめた。

 「共謀罪」については「反対だ」と言う。「実行行為すらいらず、何にでも適用できる。反対勢力を追い落とす権力の横暴に歯止めがかからなくなる」

 特に気になるのが「自白」の重用だという。阿部さんたちを一審で死刑判決に追い込んだ「謀議」は、別件の暴行罪で逮捕された少年の自白を根拠にしていた。その後の裁判で自白は虚偽であったと認定される。

 ところが今、提出されている「共謀罪」法案には、「自首減免規定」も盛り込まれている。謀議に加わり、自首して情報を流した者には、罪を減じるという規定だ。

 「松川事件の判決は、自白はあてにならないと示した。その自白を重要視するのだから、時代が逆行したとしか思えない」

 こうも話した。

 「日本人は社会を自分で変える意識に乏しいのかと、最近になって思う。政治にものをいう運動をもっと広範囲に展開していかないと、民主主義は力を発揮できないのではないか」 (福島特別支局長・坂本充孝)

<松川事件> 1949年8月17日未明、福島市松川町で何者かの工作により列車が転覆、乗務員3人が死亡した。人員整理に反対していた国鉄労組福島支部、東芝松川工場労組の役員など20人が逮捕、起訴されるも63年、被告全員の無罪が確定した。真犯人は不明。裁判中は被告を支援する国民的な運動が起きた。昨年1月、松川事件を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録しようと、「松川資料ユネスコ世界記憶遺産登録を推進する会」が発足。今年3月、同福島県の会も結成された。

 

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