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【ふくしま便り】

沢辺琢磨 激動の生涯 攘夷思想の剣客 一転 司祭に

白河ハリストス教会=福島県白河市で

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 福島県白河市の旧城下に小さな美しい聖堂がある。司馬遼太郎氏が紀行文「街道をゆく」で「野バラの教会」と紹介した白河ハリストス正教会である。この教会で明治維新の志士、坂本龍馬のいとこにあたる沢辺琢磨という人物が司祭を務めた話は案外知られていない。尊王攘夷(そんのうじょうい)に燃えた若い剣客が、旅路の果てにロシア人司祭に出会い、生まれ変わる。沢辺が歩んだ人生は、龍馬のそれに負けず劣らず刺激的だ。来年は維新百五十年。ひと足先に東北に眠る維新秘話を紹介したい。

 白河ハリストス正教会を訪ねると、期待通りに薄桃色の野バラが咲き誇っていた。赤や白の大輪のバラも満開で、豊かな香りに包まれて白い聖堂が立っている。小さいながら木造のビザンチン様式。屋根にはネギ坊主のような塔が載っている。

 「ハリストス」とはギリシャ語の「キリスト」。福島県にただ一つのギリシャ正教会の会堂だ。「現在の信徒は二十軒ほど。檀家(だんか)のようなもので、私も三代目になります」と信徒代表の大寺浩さん(76)が説明してくれた。

 聖堂の中に入ると、四十八枚のイコンと呼ばれる宗教画が並んでいる。明治時代に活躍した日本人聖像画家山下りんの作品も五点ある。イコンが並ぶ壁の向こうには非公開、女人禁制の至聖所がある。聖堂は今も信徒のための祈りの空間だ。

 大寺さんは「うちの神父さん」と親しみを込めて、沢辺琢磨の物語を語った。一八三五年二月、高知県に生まれた沢辺は、坂本龍馬、武市半平太(たけちはんぺいた)のいとこにあたる。土佐勤王党に属し、二人を追いかけて二十一歳で剣術修業のために上京。「桃井道場のからす天狗(てんぐ)」と呼ばれる腕前だったが、事件が起きる。

 道場仲間と酒を飲み、勢いで町人とけんかをして、巻き上げた懐中時計を酒代に換えた。

 藩の知れるところとなり、切腹を迫られるが、龍馬らの計らいで逃亡。たどり着いたのが函館だった。強盗を撃退して評判となり、道場主になり、神社に婿入りして神官にもなる。

 このころ日本郵便の父・前島密(ひそか)や同志社大学の建学者・新島襄らと親交を結んだ。二人は留学の道を選んだが、沢辺は攘夷の思いが強く、ロシア正教会初の宣教師、ニコライ・カサートキン神父を切りに行く。これが運命的な出会いとなった。

聖堂に掲げられたイコン=福島県白河市で

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 「ハリストス教が邪教か否か、調べてから決めたらどうか」と説得され、神父の元へ通った。その末に逆に「日本を救うのはこの教えだ」と確信する。

 明治政府がキリシタン禁制を発令した六八年、沢辺は道場も家もすべてを捨てて日本人で初めて同教の洗礼を受けた。のちに司祭となり、白河には八四〜九一年までの七年間滞在、布教に務めた。一九一三年に東京で病没。享年七十八。

 「当時の正教会は政府の迫害を受け、沢辺神父は何度も警察に捕縛された。経済的にも困窮したようですが、剣客らしく、悠然と動じない態度だったと伝えられています」。そう話す大寺さんの目は誇らしげだった。

 勝海舟は、弟子の龍馬について「やつは最初はおれを切りに来たんだ」と語ったという。坂本龍馬と沢辺琢磨。維新の表と裏を歩んだ二人の男は、よく似た気質であったようだ。

 白河ハリストス正教会は、事前に予約があれば、内部を見学できる。入場無料。献金は受け付ける。連絡先は大寺さん=電0248(22)8249=へ。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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