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【ふくしま便り】

花で浪江を元気にしよう 農業者組織「花・夢・想みらい塾」発足

オリジナルブランドのトルコギキョウ「Jinふるーる」を前に川村さん。「全国に届けて浪江町のシンボルにしたい」=福島県浪江町で

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 原発被災地の福島県浪江町を花の一大産地にすることを目指す農業者組織「花(はな)・夢(む)・想(そう)みらい塾 浪江町花卉(かき)研究会」が今月、発足した。会長に就任したのは本欄に何度も登場してもらった川村博さん(62)=NPO法人Jin代表。全町避難となった浪江町にいち早く戻り、放射能と“格闘”しながら農業による町の復興を目指してきた人だ。夢は実を結びつつあるのだろうか。

 十九日、町役場で「研究会」の設立総会があった。集まったのは花卉農家や新規就農者など十四人。会長に推された川村さんは「本格的な自立をしなければならないときが来た。花で浪江を元気にしよう」と話した。

 後日、農場を訪ねた。

 「覚悟を決めてやる。その意思表示をしたいと思ったんです」と川村さんは話し始めた。

 これまでの経緯を簡単に振り返っておきたい。浪江町の農家の長男に生まれた川村さんは、福祉の道を志し、町内で高齢者や障害者の施設を運営していた。ところが二〇一一年三月に東京電力福島第一原発の事故が起き、浪江町は立ち入り禁止の警戒区域となる。避難先でもデイケアセンターを開設したが、お年寄りたちは畑仕事を望んだ。

 そこで二年後に町への出入りが許可になると、事業所の隣に農園を造った。お年寄りをバスに乗せ、農園で作業をしてもらうと大喜びだった。そこから「農業で復興へ」とかじを切る。

 だが容易ではない。最初の作物のトウガラシから基準値を上回るセシウムが出た。浪江産の野菜はスーパーも仕入れを拒否した。悩んだ揚げ句、食べ物ではない花に活路を求めた。収益性の高いトルコギキョウやリンドウ、ストックなどをビニールハウスで育てる。長野県まで技術を習いに行った。

 トルコギキョウを初出荷した一四年八月からちょうど三年。花づくりは軌道に乗りつつあるという。

 川村さんの農場だけで、ビニールハウスは十六棟に増え、東京の花卸業者から一目置かれるようになった。すると避難していた周辺の農家の中にも花栽培を目指す人が出てきた。

 「浪江町全体で一億円の売り上げが目標。おそらくこの目標は数年のうちにクリアできるでしょう」と自信をのぞかせる。

 だが町の復興となると、楽観ばかりはしていない。

 浪江町は今春、帰還困難区域を除いて居住制限が解除となった。だが現時点で帰還した人は二百八十人ほど。事故前の人口二万一千五百人の1・3%にすぎない。耕作をする人がいなくなり農地は荒れる一方だ。規制解除から三年間は農地の保全管理のための補助金が出る。これがあるうちは人を雇っても草刈り程度はできるが、補助金が打ち切りになれば、いよいよ放棄する人が出てくる。町は野生動物の楽園になりかねない。

 「荒れ地になるのを防ぐには、手間のかからない、生け花用の花木などを水田や畑に植えるのがいい。季節になれば一面の花盛りになり、観光客も来るかもしれない。ハウス栽培の切り花と合わせて、浪江を花の町にするんですよ」

 生業として成り立たせる勝算はあるのだという。だが立ちはだかるのが人手不足。これは浪江町に限らず、被災地が共通して抱える根源的な悩みだ。

 東京都内から通って来る大学生らがいて、淡い期待を抱かせてはくれる。「でも、これだけは自分で決めることだからね。ただ若者に知ってほしいとは思う。農業には夢がある。お金だって意外にもうかる。こんなにいい商売はない」

 川村さんの奮闘は、まだまだ続きそうだ。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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