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【ふくしま便り】

彫刻家ら 美術館に再生 檜枝岐村「鬼百合の出作り小屋」

よみがえった出作り小屋の前に立つ吉野さん(左)と浦山さん=福島県檜枝岐村で

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 尾瀬の玄関口にあたる福島県檜枝岐(ひのえまた)村で、彫刻家のグループが、朽ち果てたかやぶき屋根の小屋を再生する計画を進めている−。そんな話を本欄で伝えたのは昨年八月のことだった。あれから約一年。小屋は、美術品を展示する「尾瀬出作り小屋記念館」として生まれ変わったと知らせが届いた。出作り小屋は雪深い土地で生き抜いた山の人々の生活の証しだ。よみがえった鬼百合(おにゆり)の出作り小屋に会いに出掛けた。

 小屋は尾瀬から流れる清流、伊南川(実川)のほとりに立っている。一年前は壁板は崩れ落ち、屋根の上には雑草と一緒に鬼百合が生い茂って緋色(ひいろ)の花を咲かせていた。

 今夏に改築が終了し、建物は見違えるようだ。屋根は真新しいかやでふき替えられた。壁は補修され、川に向かって大きな窓が開いた。小屋の脇にはモダンなオブジェが立ち、入り口には記念館の看板が掲げられている。

 現在は福島県に伝わる民芸品の展示会を開催している。いろりの周りに「つるしびな」や「ちぎり絵」が飾られて、アートな空間となっている。

 再生に取り組んだのは、二科会会友の吉野ヨシ子さん(66)、浦山不二秀さん(68)ら首都圏を中心に活躍する彫刻家たちだ。山が好きで尾瀬に通ううちに、廃業した民宿の建物をアトリエとして共同購入。敷地内の朽ちた小屋に興味を持った。「かやぶき屋根が美しかった。でも崩れ落ちるのは時間の問題だった」と浦山さんが振り返る。

 そもそも出作り小屋とは何だったのか。かつて村人は林業や狩猟などで生計を立てていたが、山奥に平らな土地を見つけ、ソバを育てるほどの農業はしていた。昭和四十年代ごろまでは道路も不便で、村の中心部にある家から畑まで徒歩で数時間もかかった。このため、夏は畑の近くに建てた小屋に家族で住んで農作業をした。当時はそんな小屋が七十棟もあったが、車の普及などで生活習慣が変わり、消えていった。

 「檜枝岐の固有の文化を伝える小屋は貴重な文化遺産。絶対に残そう」と意を決し、吉野さんらは職人探しから始めた。資金集めのために寄付を募ると、約百二十人から計百万円近い善意が寄せられ、小屋は生き返った。

 屋根の頂点には木船のようなスペースをつくり、土を入れ、鬼百合の球根を植えた。古いかやぶき屋根には、頂の部分に田のあぜの踏み固められた土をのせたものがある。「くれぐし」と呼ばれ、乾燥に強い植物の球根などを含んだ土くれがよいとされた。一説には、飢饉(ききん)の際に食料にする目的だったという。屋根に咲いていた鬼百合には、そんな意味もあったのだ。

 小屋の復元に合わせて、アトリエの一角も「尾瀬美術館」として開放することにしたという。のぞかせてもらうと、吉野さん、浦山さんらが制作した現代アート作品が並んでいた。

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 福島県田村市出身の吉野さんの作品には、板に彩色し、その上に輪ゴムを配した一群がある。輪ゴムの奥に東日本大震災や東京電力福島第一原発事故の被害を伝えた新聞の切り抜きが張ってあるのが特長だ。

 「新聞は生々しくて美術とは相性が悪いと思う人もあるかもしれません。でも、故郷で起きた災害を忘れてほしくないという意味を込めました。輪ゴムは絆の意味。たくさんの人の輪をつくる。この美術館がそのきっかけになればいいと思います」と吉野さんは話した。

 出作り小屋記念館と尾瀬美術館では、出展希望者を募集している。問い合わせは、吉野さん=電080(3094)6265=まで。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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