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【ふくしま便り】

「伊達もんもの家」の取り組み 帰還した母子に寄り添う

「伊達もんもの家」のスタッフ。半田さん(左)、新井さん(中央奥)、高橋さん(同手前)、佐藤さん(右)=福島県伊達市で

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 東京電力福島第一原発事故の直後、幼い子どもの手を引いて福島県外へ避難した母子がたくさんいた。あれから六年半。今でも県外にとどまる母子がいる一方で、故郷へ戻り、新しい暮らしを始めた母子もいる。帰還した母たちは、かつての平和な暮らしを取り戻したのだろうか。避難体験者が集まる伊達市の交流サロンを訪ねた。

 伊達市は人口約六万人ののどかな街で、第一原発の北西約六十キロの内陸部に位置する。原発事故後は避難区域に指定されなかった。しかし、部分的に放射線量が高い地域もあり、約九百人が県外に自主避難した。現時点で四百人弱が帰還し、残る五百人ほどは避難を続けている。その多くは母子である。

 住宅街の一角に、昨年九月にオープンした「伊達もんもの家」がある。「もんも」は特産のモモの意味。看板には「子育て世代と高齢者交流サロン」。さらに「おしゃべりと学びの場」と書いてある。

 開設の目的を運営責任者の半田節彦さん(76)が説明してくれた。「避難先から帰って来たお母さんたちが直面する問題はたくさんあります。放射能は本当に大丈夫なのか、離れていた地域の人々や家族と人間関係を再構築できるのかなど、不安におののいている。そんなお母さん方が心を開いて話し合える場所が必要であると考えたんです」

 母体は、原発事故前の二〇〇〇年に設立されたNPO法人「りょうぜん里山がっこう」。自然豊かな農園で子どもの体験教室などを企画してきた団体だ。事故後も、県外への疎開ツアーなどを実施する一方、体験教室を再開した。

 だが、避難先から県内に戻った母親には、体験教室に複雑な思いを抱く人もいたという。

 「伊達市の場合、除染が十分ではない区域もある。それなのに、安全ですと一方的に言われると、拒否反応を起こしてしまうんです。子どもを外で遊ばせるなんてとんでもないとか」

 夫や親に説得されて意に沿わぬまま帰還した人もいる。そんな人は「外にいるだけで呼吸ができなくなる」と訴えた。「故郷に残って元気にしている人々を目の当たりにすると、逃げた自分は悪かったのかと思えてしまう」と漏らした人もいた。

 そうした母親たちに、どこまでも寄り添う。そんな目的で「もんもの家」は始まった。

 スタッフは半田さんを除く三人全員が女性で、県外へ避難した経験を持っている。

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 佐藤真由美さん(42)は、昨年十一月までの五年半、二人の子どもと一緒に静岡県伊東市で過ごした。高橋寛子さん(38)と新井芳美さん(34)は山形県から帰ってきた。三人は今年三月にまとめた冊子「避難体験記録−原発事故に揺らぐ自主避難者の想(おも)いと決断」の中で、それぞれの体験を語っている。

 共通するのは、避難する時も帰る時も、身を引き裂かれるようなつらい選択を強いられ、苦しんだ経験だ。地域社会や親族との間にできた空白を、いまだに埋めきれないという悩みも抱えている。

 佐藤さんはこう話す。

 「来所する方に『もう安全だから』とか『帰って来てよかったでしょ』などという言葉は決していいません。コンピューター教室や放射線測定会、子育てサロンなどをしながら、普通のおしゃべりをする。そうして心を開いてもらい、支え合うのが大切だと話し合っています」

 女性たちの話に、原発事故から人々が受けた心の傷の深さを、改めて思い知らされる。

   ×  ×  ×

 「伊達もんもの家」の連絡先は=電080(3339)0657=へ。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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