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【ふくしま便り】

福島の農家らウクライナ視察同行記 (上)甲状腺異常 31年の現実

甲状腺摘出手術の経験を話したユーリャさん。首の下に手術痕が見える。「それでも私は生きている」とも話した=ウクライナ、キエフ市で

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 福島県の農家らが先月下旬、ウクライナ各地を視察した。一九八六年のチェルノブイリ原発事故から三十一年。今もなお、史上最悪と言われた事故の深刻な影響下にある現地では、事故後に甲状腺の手術をした女性など何人もの被災者に出会った。東京電力福島第一原発事故後の故郷の姿と重ね合わせる参加者の胸には、重い問い掛けが残った。「チェルノブイリの現実は福島の未来なのか…」。記者も視察に同行、様子を三回に分けて報告する。

 ツアーを主催したのは福島県農民運動連合会。根本敬会長のほか会員五人が九月二十三日にウクライナ入りし、現地調査を続ける木村真三・独協医科大准教授の協力を得て首都キエフ市、チェルノブイリ原発があるプリピャチ市などを巡った。

 キエフ市は石畳が美しい人口約二百九十万人の大都市。チェルノブイリ原発から南へ約百キロの位置にあり、原発事故当時、四万人もの避難者が強制的に移住させられた。そのまま定住した人も多く、市内には避難者の互助組織が幾つもある。

 「ゼムリャキ(同郷人)」もそのひとつ。女性会員で会計士のユーリャ・ラルテンユさん(38)が話を聞かせてくれた。 

 長い金髪のユーリャさんを見て、参加者の誰もが息をのんだ。首の付け根に弧を描く手術痕があったからだ。二〇〇二年、二十三歳の時に甲状腺の一部を切除したという。

 事故当時は七歳。父は原発労働者で、一家はチェルノブイリ原発近くに住んでいた。事故の二日後に家を出てバスに乗ったのを覚えている。避難先を転々として翌年、キエフ市内に支給された集合住宅に落ち着いた。

 甲状腺に異常が見つかったのは十二歳の時。疲れやすく、立ち続けると心臓がどきどきした。食物をのみ込むと、のどに違和感も覚えるようになり、十一年後に手術に踏み切った。医者は、原発事故が原因であると話したという。

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 ユーリャさんは当時妊娠しており、翌年に結婚、現在十四歳の長男を産んだ。その後、長男の甲状腺に結節が見つかった。医者は「母親が妊娠時に甲状腺に問題を抱えていたからではないか」と話したという。ユーリャさんは今もホルモン剤の服用を続けている。

 五歳になる長女には甲状腺異常は見つかっておらず、長男も元気に生活している。「長男はキックボクシングをしていて絵の才能もある。後悔のない人生を送らせてあげたい」。ユーリャさんは息子を案じる。

 ウクライナは事故から五年後、被災者救済のためのチェルノブイリ法を制定。移住先での雇用、住居、食料、薬の提供、保養の費用などを約束している。被災証明書を持つユーリャさんは、食料費の補助や公共料金の減免などを受けている。

 民間の支援制度もある。「ゼムリャキ」は、困窮家族に向けた「SOSプログラム」を用意。白内障や脳卒中などで働けない被災者に経済的支援などをしている。「チェルノブイリの犠牲の子どもたち」というプログラムでは、被災者から生まれ、障害がある子供たちを後押しする。ウクライナでは、原発事故に起因する健康被害の存在が当たり前の前提になっている。

 「つらい話が多く、頭が痛くなるほど考えた」。視察に参加した女性(46)は旅の途中、他の参加者の前で話した。「帰国したら、子どもたちと甲状腺の問題について話し合おうと決めた。逃げていて済む問題ではないのだと、よく分かったから」(福島特別支局長・坂本充孝)

 

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