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【ふくしま便り】

福島の農家らウクライナ視察同行記 (下)原発事故 情報隠しの実態

森の中に放置されたレーダーの残骸

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 チェルノブイリの現実は福島の未来なのか…。重い問いかけを胸に、福島県の農家などでつくる県農民連(根本敬会長)の視察団がウクライナ各地を巡った。今回は、事故の被害を知らぬまま住民が長期間にわたり被ばくを強いられたナロジチ地区の現在などを報告する。

 チェルノブイリ原発の4号機が火を噴いたのは一九八六年四月二十六日。原発から三十キロ圏内の住民は一週間後から強制移住させられた。

 しかし、三十キロ圏外にも深刻な放射能汚染が広がることを示す地図が住民に公開されたのは、実に三年後の八九年になってからだった。当時のウクライナはソビエト連邦の構成国で(九一年に分離独立)、ソ連政府が事故情報の統制を徹底したことが背景にあるとされる。

 視察団は、三十キロ圏外で汚染度が高いホットスポットとして知られるナロジチ地区を訪れた。原発から南西七十キロの位置にある。

 現地調査を続ける木村真三独協医大准教授によると、地区では事故直後、毎時三〇ミリシーベルトもの空間線量を記録したという。到底、人が住める環境ではない。ところが三万人もの住民は何も知らされないまま被ばくし続けてきた。

 ジャーナリズムの成果で放射能汚染の事実が暴かれ、ソ連政府は全員の移住を約束する。しかし、ソ連の崩壊とともに約束は宙に浮いた。今も九千四百人ほどが健康被害におびえながら住み続けている。

 ナロジチ地区の行政の責任者であるアナトーリ・レオンチューク氏が現状を説明した。

 「民家の屋根をふき替えたり、道路を定期的に洗浄したりという徹底的な除染によって、線量は劇的に下がっている」という。「二〇〇四年ごろを境に、がんや甲状腺被害などの健康被害は減ってきている」とも。

 レオンチューク氏の最大の関心は、農業による地域経済の復興にあるようだった。「〇七年ごろから民間企業が投資を始めた。かつてのコルホーズ(集団農場)、ソフホーズ(国営農場)などを解体し、集約した農場でトウモロコシ、ヒマワリ、ミルクなどを生産し、成果を上げている」と一気に話した。

 事故後、農業をするために帰ってきた住民も百人ほどはいるという。「この町を(被爆を経験した)広島や長崎のように、将来の展望がある町にしたいのです」

ナロジチ地区の保健所に設置された線量計。「最近はキノコなどを持ち込む人も随分減った」と係官=いずれもウクライナで

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 それにしても三十一年前、事故の情報はなぜ抑えられたのか。視察団は、原発から八キロの至近距離にある「チェルノブイリ2」と呼ばれる軍事施設の廃虚に向かった。

 北国らしい針葉樹の森の中に、壁のように組まれた鉄骨がそびえていた。高さ百五十メートル。幅二十メートル。長さは八百メートルもある。

 ガイドのセルゲイ・ブランチャクさん(56)によると、鉄骨はレーダーとして、西側諸国の動きを探る役割を担う地球規模の「耳」だった。七三年に完成した原発を追い掛けるように建設されたという。

 隣接する荒れ果てた建物は地上八階、地下九階。かつては三千人もの軍関係者が働き、集めた情報をモスクワに送っていた。原発で生まれた電力のうち相当な割合がこの施設で使われていた。付属して迎撃ミサイルの基地もあったという。

 ソ連軍の兵士として従軍した経験もあるセルゲイさんは「原発と軍事施設はセットで存在していたと考えている」と話した。

 事故から三十一年が経過したチェルノブイリ原発4号機の石棺の前に足を運ぶと、各国からの視察団が順番に記念撮影をしていた。のどかな光景が逆に恐怖を誘った。原発は何の目的で生まれ、人々に何をもたらしたのか。事故について、どれほどの事実が明らかになっているのか。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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