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【ふくしま便り】

飯舘村「ようこそ」補助金 被災地の今、村人の姿を知って

津波、原発の二重被災地で佐藤宏光さん(右端)の話を聞く一行=南相馬市小高区で

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 福島県飯舘村が打ち出した「ようこそ」補助金について、本欄で紹介したのは今年七月。被災地の今を知ってもらうため、村を訪問した旅人に交通費の片道分を支給する仕組みだ。この制度を利用して、かつて阪神・淡路大震災を経験した神戸の市民団体が先月、福島にやってきた。一行は飯舘村を起点に被災地を巡った。当初は異例の大盤振る舞いとも映った「ようこそ」補助金。悲劇の風化を防ぐ大きな力になるかもしれない。

 福島を訪れたのは、神戸市を拠点に活動する市民団体「NHK問題を考える会」の六人。代表の西川幸(みゆき)さん(75)によると、同会はメディアウオッチを軸に憲法、人権問題などに関心を持ちながら定期的に講演会を主催するなどしてきた。

 本欄の記事で「ようこそ」補助金の制度を知り、活用しようと準備を進めたという。

 制度についておさらいすると、村に「ふるさと納税」をしたり、村の子供を支援する「いいたてっ子未来基金」に寄付したりした人が村を訪問すれば、村までの交通費を上限六万円まで受給できる。申請書を提出すれば後日指定口座に振り込まれる。利用は一人年に一回。期間は来年三月三十一日まで。

 村の現状を広く知ってもらうことが趣旨だが、宿泊施設がないなど訪問客の受け入れ態勢が十分ではないこともあり、利用者が旅程の前後に周辺の被災地などを巡ることも認めている。

 西川さんらの村までの行程は次の通りだった。

 自宅から地下鉄、バスなどで神戸空港へ。空路福島空港へ飛び、リムジンバスでJR郡山駅へ。東北新幹線で福島駅に行き、知人の車で飯舘村へ。

 役場に着き、手続きを済ませると支給額はすぐに決まった。一人当たり約四万四千円。

 誰ともなく「うわ、ほんまにいただけるんや」と驚きの声が上がった。疑っていたわけではないだろうが、この反応はなんとなく理解できる。世知辛い世の中、これほどの気前の良さに遭遇する機会はめったにない。

 しかし、担当の三瓶(さんぺい)真・総務課企画係長は「せっかく作った制度なので、おおいに利用してもらっていいのです」。すでに五十人ほどが利用したという。

 手続きの後、三瓶係長から村の現状についての説明もあった。村では今年四月、東京電力福島第一原発事故以来六年続いた避難指示が、大部分の地域で解除となった。しかし十月一日現在の居住者は五百十五人。本来の人口五千九百九十五人の一割にも満たない。主幹産業である農業の再生の道も険しい。

 「それでも努力を惜しまない村人の姿こそを見てほしい。全国に伝えてほしい」と三瓶係長は力をこめて話し、西川さんらは熱心に聞き入った。八月に村に開業したばかりの道の駅では昼食も楽しんだ。

 その後、一行は南相馬市小高区へ。原発事故と東日本大震災による津波の二重被害を受けた故郷を再建するため、河津桜を植え続ける佐藤宏光さん(62)の話を聞いた。参加者は荒れ地となった津波被災地を目の当たりにして言葉を失った。

 宿泊は、二本松市東和地区の農家民宿「遊雲(ゆう)の里」。主人の菅野正寿さん(58)は、放射能汚染と闘いながら有機農業を実践している。新鮮な野菜中心の料理を堪能した。

 翌朝は帰還困難区域の大熊町へ向かった。被ばく牛を生かすために「モウモウプロジェクト」を立ち上げた谷咲月(さつき)さん(36)に会う。「モウ」は英語で「草を刈る」の意味。荒れた元農地を牛の力で復元する活動のビジネス化を目指している女性だ。七頭の牛に出迎えられた一行はあまりの人懐っこさにびっくりしていた。

 「飯舘をはじめ、七年目の被災地の厳しい現実がよく分かりました。それにも負けず、活路を見いだそうと奮闘している人たちの存在も知った。応援したいと心から思います」と西川さんは話した。

 飯舘村「ようこそ」補助金に関する問い合わせは村役場総務課企画係=電0244(42)1613=へ。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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