東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 東日本大震災 > ふくしま便り > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【ふくしま便り】

農村バンド「影法師」のメッセージ じわり広がる「花は咲けども」

東北の今を歌う影法師。左から遠藤さん、船山さん、横沢さん、青木さん=山形県長井市で

写真

 山形県長井市を拠点に四十年にわたって活動を続けるシニア世代のアマチュアバンドがある。名前は「影法師」。彼らが歌う「花は咲けども」という曲を、耳にした人がいるかもしれない。原発事故の被災地の姿を歌って四年、じわじわと評判が広がり、人から人へと歌い継がれている曲だ。「花は咲けども」は、なぜ心に響くのか。歌の故郷を訪ねた。

 昨年十二月二十五日。クリスマスの長井市は猛吹雪に見舞われた。鉄道が運転を見合わせ、民家の屋根が飛んだと騒がれた日の暮れ、一軒の農家の庭先に続々と車が集まってきた。間もなく始まったのが、毎年恒例の影法師年忘れコンサートだった。

 ボーカルで作曲担当の横沢芳一さん(65)が所有する拳法の道場が会場。リーダー格でバンジョー担当の遠藤孝太郎さん(65)が「おばんでがんす」とあいさつすると、数十人の観客から拍手が飛んだ。ギター、バンジョー、マンドリン、ベースが軽快なサウンドを奏で、座が温まったころ、「花は咲けども」が始まった。(歌詞別掲)

 影法師が生まれたのは一九七五年。フォークソングブームが花盛りの頃だった。人口三万人あまりの農村にも音楽の波がやってきた。地域のサークル活動から始まったバンドは、すぐに人気者になった。作詞、ベース担当の青木文雄さん(64)は「当時は叙情的な歌詞を美しい旋律に乗せて歌っていた。故郷賛歌のような歌だった」と苦笑いする。

 ところが九一年、異色の歌が生まれた。「白河以北一山百文」。八七年に東北自動車道が開通したが、押し寄せてきたのは首都圏のゴミを積んだトラックだった。そんな腹立ちを長井弁で歌った。これを契機に影法師の歌は、地方軽視や朝令暮改の農業政策などを批判するプロテストソングへと変わっていく。

 遠藤さん、横沢さんは米農家として先祖伝来の農地を守ってきた。ところが小泉内閣が「集落営農」政策を打ち出す。怒りを込めて「百姓挽歌」(二〇〇六年)を歌った。

 「野辺の送りの鐘が鳴ります/百姓もこの村も息絶えるでしょう/この国もまた」

 マンドリン担当の船山正哲さん(59)は「影法師が歌うのは東北の田舎町の現実そのもの」と話す。

 「花は咲けども」は一三年に完成した。作詞した青木さんは福島県富岡町の夜の森公園の桜並木を念頭に置いた。

 「汚染され、人が住めなくても花は咲く。咲きはするが、希望ではなく無念の花。伝えるべきは、この部分だ」

 曲は、全国の音楽仲間にも歌ってもらうように頼んだ。今、この曲を歌うアーティストは二十組以上もいる。歌声喫茶では定番の愛唱歌となり、海外在住の音楽家の協力で英語版も生まれた。歌が独り歩きを始めた。

 青木さんは、こう話す。

 「原発事故については負い目があります。恐ろしい原発を押しつけられ、そのうえ、福島の人たちは原発を容認したといって、責められたときすらあった。だが、これはもともと私たち東北人の、日本人の問題だった。人ごとではない。心を一つにするために、この歌を歌ってください」

  ×  ×  ×

 「花は咲けども」などを収めたCDブック「現場歌手 影法師」を発売中。購入申し込みは遠藤さん=電0238(84)6445=まで。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 花は咲けども(作詞・あおきふみお/作曲・横沢芳一)

原子の灰が 降った町にも

変わらぬように 春は訪れ

もぬけの殻の 寂しい町で

それでも草木は 花を咲かせる

※花は咲けども 花は咲けども

 春をよろこぶ 人はなし

 毒を吐き出す 土の上

 うらめし、くやしと花は散る

異郷に追われた 人のことなど

知ったことかと 浮かれる東京

己の電気が 招いた悲惨に

痛める胸さえ 持ち合わせぬか

 ※繰り返し

1年 3年 5年 10年

消えない毒に 人は戻れず

ふるさとの花 恋焦がれて

異郷で果てる 日を待つのか

 ※繰り返し

 

この記事を印刷する

PR情報