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【ふくしま便り】

相馬田んぼアートプロジェクト 被災が生んだ交流続く

完成した田んぼアート=福島県相馬市で(相馬田んぼアートプロジェクト提供)

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 田んぼに色の違う稲で絵を描く田んぼアートを知っている人は多いだろう。大津波と原発事故で深刻な被害を受けた福島県相馬市の田んぼでも毎年、精緻な絵が人の目を楽しませている。プロジェクトに取り組んでいるメンバーのほぼ半分は、震災当時に都会から救援に来たボランティア、残る半分は復興を祈る地元の人々だ。不思議な縁で結ばれた人々の交流が途切れることなく続いている。

 阿武隈山地に雪がちらついた二十四日、相馬市岩子(いわのこ)にある遠藤友幸さん(57)の自宅にするすると一台のワゴン車が入ってきた。

 「待ってたよう」

 「遠かったあ」

 降りてきた七人は、二十〜四十代ほどの男女。待っていたのは相馬市の人々数人。

 座敷に上がると、早速、今年の田んぼアートに向けた作戦会議が始まった。誰もがよく話し、よく笑う。司会役の遠藤さんが「いつものことだからね」と苦笑いするほどのにぎやかさだ。

 遠藤さんは、この岩子で先祖代々、農業と漁業を営んできた。田で米を作り、ほど近い内海の松川浦でノリやアサリを養殖する。そんな生活を根底から変えたのが、七年前の震災と原発事故だった。

 福島第一原発からは四十キロほどの距離があり、避難指示区域にはならなかった。しかし津波の被害は甚大で、市内で約四百五十人が波にのまれて亡くなった。遠藤さんの農地も波が覆った。潮干狩りの名所で知られた松川浦の堤防は破壊され、放射能汚染で漁もできなくなった。

 三年が経過した二〇一四年、土壌整備が終わり、稲の作付けは可能になった。

 「でもね。農業を再開するためには、何か勢いをつけてくれるものが必要だったのよ」。思い出したのが、青森県田舎館村で始まっていた田んぼアートの光景だった。

稲刈りの後で写真に納まるプロジェクトの参加者たち=福島県相馬市で(相馬田んぼアートプロジェクト提供)

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 「やっぺ」と声をかけると集まってきた仲間がいた。東京都や千葉県から被災地に入ったボランティアたち。地元の古くからの仲間たち。

 遠藤さんの田んぼをキャンバスに、相馬のシンボルである「馬」を題材に絵を描く。

 描くだけではなく、都会の人に田植え、稲刈りをしてもらい、食への理解も深める。そんな企画で始まったイベントは、今年で五回目になる。

 田んぼアートは色の違う数種類の稲を絵の具代わりにする。工夫が必要なのは下絵の描き方で、斜めから鑑賞されることを前提に、間延びした絵を描く。

 測量技師が長い時間をかけるのが一般的というが、相馬の場合、レーザー光線を利用して二時間ほどで下絵作りを終える。映像技術者のメンバーが考案した方法だという。

 「皆で知恵と力を出し合ってやってきた。震災はつらい経験だったけども、あれがなければ知り合えなかった人も居る。もっと、たくさんの人が相馬に来てくれたらうれしい」と遠藤さんは話す。

 田植え、稲刈りでは東京発のバスツアーを予定する。詳細、問い合わせは木村覚さん=電090(6206)2832=まで。(福島特別支局長・坂本充孝)

 

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