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【ふくしま便り】

大亀清寿さんの作品から 木彫語る 絶望と再起の日々

東本願寺原町別院の本堂に展示されている「ボランティア」像と大亀さん=福島県南相馬市で

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 福島県南相馬市の名刹(めいさつ)の本堂に、一体の彫刻がある。「ボランティア」と名付けられた作品は、地元の彫刻家が、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の半年後に彫り上げた。当時、寺は全国から集まったボランティアが寝泊まりする拠点となっていた。「あのときの善意を忘れてはいけない」。そんな思いが、作品には込められている。

 南相馬市原町区の中心部にある東本願寺原町別院。風格のある本堂の一角に、木彫は立っている。若い女性がつなぎを着て、長靴を履き、手にはスコップ。真っすぐ前を見た顔は、汗がにじんでいると思わせるほど精緻な写実だ。

 「お参りに来る人の中には、この木彫に手を合わせている人もいます。仏像ではないので拝むのはどうかという声も聞こえますが、まあ、良いのでは。この木彫がここにあるのも、何かの縁なのです」

 同院の木ノ下秀昭(ひであき)院代(81)は、にこにこと話した。

 彫ったのは、日展会友の彫刻家、大亀清寿(せいじ)さん(64)。市内の酒屋の四代目でもある大亀さんが、被災当時を振り返る。

 福島第一原発が水素爆発を起こし、三十キロ圏の原町区一帯は、上を下への大騒ぎになった。大亀さんは娘一家を会津若松市に避難させ、妻と二人で自宅に残った。

 行政から屋内退避の指示があったが、食べ物の配給があるわけでもなく、食料を求めて市内を歩き回った。子供たちに柔道を教えた道場は、津波の犠牲者の遺体安置所になっていた。寝たきりの叔父も流されたと知った。そんなとき見かけたのが、防護服を着たボランティアの姿だった。

日展特選となった「磐州の陣」=福島県南相馬市で

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 「放射能を恐れて、物資を運ぶ業者さえ町に入って来なかったのに、よそから来た人たちが道端で放射線量を測っていた。あれには驚いた。当時は、この国がなくなると思うほど絶望的な空気だったが、こんな人たちがいるなら復興もあるんじゃないかと、力をもらった」

 酒屋は休業を余儀なくされ、アトリエにこもって彫刻に打ち込んだ。夢中になるうちに、心が落ち着いて来るのがわかった。このときの作品が「ボランティア」で、秋の日展で入選した。旧知の木ノ下院代に話をし、ボランティアの拠点となった本堂に置かせてもらうことになった。

 その後も毎年、被災を題材に作品を彫り続けた。

 二〇一六年の作は「磐州(ばんしゅう)の陣」。マスクに防護服姿の原発作業員が憂い顔で立つ姿を表現し、初めて日展特選に選ばれ、代表作となった。一四年の「旗差物(はたさしもの)」は、地元の伝統行事「相馬野馬追(そうまのまおい)」の旗を持つ女性の姿。「原発事故の後、賠償額の差などで、街の人の心は分断された。だから一つの旗の下に集まろうといいたかった」

 大亀さんの作品は、小高区の海岸部に今年、開設された「花見ふれあい公園」にも展示されている。

 「七年はあっという間に過ぎた。あれほど破壊された街が、よくこれほど生き返ったというのが正直な気持ち。復興の道はまだ遠いが、被災直後の混乱に比べれば、何か一息ついたように感じる」 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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