東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 東日本大震災 > 長久保宏美のリポート福島 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【長久保宏美のリポート福島】

悩み、不安…気持ちを共有 交流拠点で支え合う母親

昨年3月10日に行われた避難先から戻ってきた母親たちの交流会=福島市で

写真

 「原発事故による放射能からできるだけ遠くに逃げたい」。二〇一一年三月の事故発生当時、多くの人がそう思った。特に小さな子どもを持つ親は、恐怖を強く感じたはず。そんな親たちの心の支えのひとつ、福島市にある復興交流拠点「みんなの家セカンド」を訪ねた。

 市の中心部から車で約二十分。静かな住宅街の中にある、二階建ての一軒家。避難生活を経験した母親らが悩みを共有し、地域住民と交流する場として、福島市のNPO法人「ビーンズふくしま」が昨年開いた。復興支援コーディネーターで「セカンド」事業長の森淳美(あつみ)さん(32)が、これまでの経過を話した。

 「大震災発生時の二〇一一年には、避難指示区域の外から県内外に避難したお母さん方のケアをしました。県内だと、いわき市、郡山市、南相馬市などに月一回出向いて、地元の保健師さんや支援団体の方々と、お母さん方の悩みを聞きました」

 悩みは多岐にわたった。「子どもの食べ物の放射能が気になる」「福島から避難してきたと言えず、別の場所から来たと言った」「地元に戻って来たけど、避難しなかったお母さん方と話ができない」「放射線の心配しすぎはダメです、と子どもの学校の校長に注意された」

 森さんは「放射能のことに限らず、例えば夫やおしゅうとめさんのこと、お料理のことなど、何でも安心して話せる場があることが、避難から戻ったばかりのお母さん方にとっては大切なんです」。

 食べ物の不安を解消しようと、母親らが昨年、福島、山形、茨城各県の野菜をそれぞれ取り寄せ、産地別の煮物を作り、放射性物質の濃度を正確に計測できる団体に検査を依頼。福島産の野菜が特に値が高いわけではないことが分かった。

 「セカンド」では、福島県沿岸部の「浜通り」から、福島市内や山形県内に避難した母親らが、子ども連れで集まる会もある。近所のお年寄りに来てもらい、親子とおしゃべりを楽しむこともある。

事務室で母親向けフリーペーパーの編集作業などをする舩山さんと森さん(右)=福島市で

写真

 同じ復興支援コーディネーターで、親子でのお出かけ情報などを掲載したフリーペーパーの編集を担当する舩山雅代さん(34)はこう話す。

 「お母さんの中には、避難先でつらい思いをした経験があり、今度は自分が恩返ししたいと思う人もいるんです。先に帰ってきた先輩ママたちが自分の体験を話したり、帰還後の生活について話したり、帰ってきたばかりのママたちの不安を聞いてあげたりして、気持ちを共有しているのです」

 一一年九月、福島市から当時二歳の男の子を連れて山形市に避難した女性(42)が振り返る。「夫は仕事のため福島に残った。初めての子どもで、避難先は知らない土地のアパート。一人で子どもを育てられるかどうか不安だった。三年後、福島市に戻ってきたが、食べ物への心配は今も変わらない。『セカンド』で、今はどうしてますかって、ほかのお母さん方に気軽に聞けるので安心できる」

 不安を抱いた親たちの支え合いの輪は、原発事故から七年以上が経過しても、つながっている。 (福島特別支局長)

 

この記事を印刷する

PR情報