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【東京新聞フォーラム】

「港区歴史文化講座『秀忠・お江でたどる』」 基調講演

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家康がもり立てた増上寺 宇高良哲・大正大教授

 増上寺は1393年、現在の千代田区平河町付近に創建されたといわれています。

 1590年、小田原の後北条氏が秀吉・家康連合軍に滅ぼされ、関東一円は家康が支配し、江戸城を本居(ほんきょ)とすることになります。そのとき、江戸城に最も近い浄土宗の増上寺と縁ができて、徳川家の菩提(ぼだい)寺となりました。徳川氏はもともと三河(愛知県)の戦国大名。代々の菩提寺は浄土宗でした。それまで浄土宗の関東本山は鎌倉光明寺でしたが、1603年に家康が将軍になると、家康は積極的に増上寺をもり立てて、京都の本山知恩院をしのぐような経済力、行政力を与え、格式を整えました。

 増上寺は現在の芝に移り、1608年には常紫衣(じょうしえ)を許されました。代々の住職が紫の衣を着る資格です。1610年には、住職が(朝廷から高僧に贈られる称号の)国師号を天皇家から許可されました。関東の浄土宗としてはたぐいまれなことです。さらに、幕府の大工頭による堂舎(社寺の建物)の造営、寺領の寄付も行われました。また学問奨励のための高麗版・元版・宋版の三つの版の(仏教の百科事典ともいわれる)一切経の寄進もありました。増上寺のお坊さんたちにしっかり勉強をせよ、ということです。いずれも家康の援助によるものです。

 家康の葬儀は、遺言により増上寺で行われました。2代秀忠も崇源院(江)も増上寺でしたが、3代家光、4代家綱、5代綱吉は上野の寛永寺で行い、増上寺の菩提寺としての立場が侵されるということで、6代家宣は、増上寺で葬儀をすると遺言しました。最終的に、歴代将軍は寛永寺と増上寺に6人ずつ御廟(ごびょう)をつくり、家康と家光は日光に葬地があります。

宇高 良哲・大正大教授 うだか よしあき 埼玉県出身。専門は日本近世仏教史。文学博士。「増上寺日鑑1〜6」など増上寺にまつわる著書多数。

 

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