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【東京新聞フォーラム】

「匠の技の先端と伝統 東京スカイツリー」

多くの来場者が訪れる中、開催された東京新聞フォーラム「東京スカイツリー」=会場内はいずれも中西祥子撮影

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 五月二十二日の開業を控えた自立式電波塔で世界一の東京スカイツリーをテーマに、東京新聞フォーラム「匠(たくみ)の技の先端と伝統 東京スカイツリー」が一月三十一日、東京都墨田区横網の江戸東京博物館で開かれた。東京スカイツリーのデザインを監修した彫刻家で元東京芸術大学学長の澄川喜一さんが「スカイツリーの秘密」と題して基調講演したあと、澄川さんと吉野繁・日建設計設計部門デザインパートナー、田村達一・大林組本社技術本部企画推進室副部長の三人が、榎本哲也・東京新聞したまち支局長の司会でパネル討論を行った。スカイツリーが出来上がるまでの舞台裏も披露され、四百人を超す満席の聴衆は最後まで興味深く聴き入っていた。

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【主催者あいさつ】仙石誠・東京新聞代表

 本日は、完成間近となった東京スカイツリーについて、専門家の皆さまをお迎えしていろいろ楽しいお話を伺うシンポジウムを企画しました。スカイツリーの人気の高さは、これだけたくさんの方々に本日来ていただいたことでもよくわかります。

 東京の地元紙である東京新聞にとって、東京の新名所スカイツリーにまつわる話題をつぶさにとらえていくのも役割と思っています。近々、スカイツリーがどのようにできたかを記録した本の出版も計画していますので、皆さまも楽しみにしていただければと思っています。

【基調講演】「世界に誇る芸術品」澄川喜一氏(彫刻家・元東京芸術大学学長)

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 私が彫刻家になろうと思ったきっかけは、(高校時代を過ごした山口県)岩国の錦帯橋の美しさに魅せられたことでした。その後、東大寺や、法隆寺の五重塔を調べ始めました。家族や親戚一同の反対を押し切って東京芸術大学に入学し、卒業後は、「そりのあるかたち」シリーズや、日本神話から題材をとった「OROCHI(オロチ)」シリーズなど、全国に野外彫刻や環境造形を多数手がけています。

 アクアラインの海ほたるの帆掛け船のような形をした換気塔は、門松の竹をイメージしたもので、平山郁夫先生(元東京芸術大学学長)と一緒にデザインしました。

 今回、東京スカイツリーのデザイン監修を依頼され、精神的なものも含めて日本の美しい形をランドマークとしてたてようと思いました。日本で一番古く、一番美しい建物は法隆寺の五重塔だと私は思います。建物の中心を心柱(しんばしら)が貫いている構造で、各層が独立した木組みにより共に支え合う相互作用によって免震・制震機能を備え、千年を超えても地震や台風に耐えて堂々と立っています。

 スカイツリーの設計者は、心柱構造を取り入れるとともに、日本の美しさの原点である「そり」(凹状)と「むくり」(凸状)を取り入れたすばらしい設計をされました。そして、不可能であろうと思われることを可能にし、あれだけの高さの塔をすごい技術でつくられました。

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 古代の人々のすばらしい知恵を参考にしながら、現代の知恵と最新の技術を結集して建設されたスカイツリーは、世界に誇れる日本の芸術品です。眺める角度によって表情を変え、レース編みをまとった貴婦人のような美しい立ち姿です。

 五重塔は卒塔婆で、仏舎利を納めた祈りの塔です。現在、スカイツリーが立っているあたりは、東京大空襲のときに大勢の人々が亡くなりました。スカイツリーは、その鎮魂の塔のような気もします。また、昨年の三月十一日には東日本大震災がありました。日本が復興しなければいけない、元気を出そうぜということで神様が誘導してくれたのではないかとさえ思います。

 設計を担当された日建設計さん、建築を担当された大林組さんは、たった三年半の工期で、あんな狭い場所に、世界一の高さの塔を、神わざのようにつくられました。しかも、ほとんどセンターが狂っていないという精巧さです。現場で働く大勢の職人さんたちも、無事故で、本当にすばらしい仕事をされました。五月の完成・開業の暁には、歴史ある江戸・東京の文化の薫るまちづくりの新たなシンボルとなることでしょう。

 <すみかわ きいち> 1931年島根県生まれ。51年山口県立岩国工業高校機械科を卒業。52年東京芸術大学彫刻科入学。平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう)教室で塑造を学ぶ。81年東京芸術大学教授となり95年同大学長を務める。日本芸術院会員、文化功労者。作品は木彫の「そりのあるかたち」シリーズをライフワークに、新たに日本神話から題材をとった金属の「OROCHI(オロチ)」シリーズも加わる。全国に野外彫刻・環境造形を多数手がける。

吉野繁氏(日建設計設計部門デザインパートナー) よしの しげる 1961年三重県生まれ。84年早稲田大学理工学部建築学科卒業。86年同大学理工学研究科修士課程を修了し、日建設計に入社。主な作品に日本科学未来館など。

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【パネル討論】美しく 粋に天高く

 榎本哲也・東京新聞したまち支局長 日本の歴史、技術の伝統の詰まったスカイツリーが間もなく竣工(しゅんこう)、五月の開業を待つばかりになりました。

 吉野繁さん(日建設計設計部門デザインパートナー) 東武鉄道から、約一万一千坪(約三万七千平方メートル)の面積に六百メートルを超えるタワーの設計をというお話をいただき、建設予定地の調査を始めたら、現実には細長い敷地。地下には都営浅草線が走っています。三角形が上に行くに従って円形に変わる「むくり」(建築用語では凸状に反らすこと)、三角形の頂点の部分に「そり」(凹状)を取り入れたデザインは、こうした制限から生まれました。

 高さも、周辺地域の旧国名「武蔵」にちなんで、ムサシの語呂合わせで六百三十四メートル。澄川先生の「細いタワーだから美しい、日本人の持つ造形力をあらわす『そり』と『むくり』を相持つことはすばらしい」という言葉に何度も勇気づけられながら設計を進めました。

 澄川喜一さん(彫刻家、元東京芸術大学学長) 模型を見たときは細過ぎるのではと少し心配しましたが、現物は下部に迫力があり、全体は安定して、細い感じが出ていますね。設計段階で法隆寺五重塔の心柱(しんばしら)の原理を使おうと言ってくださったのがうれしかったです。人間の頭部に当たるゲイン塔(頂上部で主に放送用のアンテナが設置されるところ)が重いところも、まさに人間の立ち姿ですし、中で育てながら先端部をつくった過程は、ご懐妊と言っていい。日本の歴史を勉強しながら、神わざに等しい技術でつくられたことに感心しています。

田村達一氏(大林組本社技術本部企画推進室副部長) たむら たつひと 1963年東京都生まれ。86年大林組に入社。現場勤務での施工管理や工事計画部門を歴任。東京スカイツリーの建設施工技術の紹介をメディアで数多く行っている。

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 田村達一さん(大林組本社技術本部企画推進室副部長) 施工で使用した鉄骨部品は全部で約三万七千個。形は一つ一つ違うし、それぞれに高い精度が求められる。日本の技術が凝縮されたものを各地から運び込んでは効率よく積み上げていく作業でした。

 これまで三百メートルを超える建物は東京タワーだけでした。倍以上の高さのスカイツリーに与えられた工期は、超高層ビルの工期と大して変わらない三年半。ほとんど同じ期間で倍以上のものをつくるということで、ものすごい勢いでニョキニョキ成長していった。そういうスピードの中で精度を確保しながらやるところがすごく苦労しました。

 榎本支局長 六百三十四メートル達成の直前に東日本大震災がありました。

 吉野さん 震災当時、東京は震度5強でした。スカイツリーは心柱が施工中の状態でも、構造体は問題なく済みました。四年以内に70%の確率と言われる巨大地震が来ても問題ないという自信にもなりました。

 日本は、世界でも珍しく台風と地震の両方がある国です。地震対策として周期の違う鉄骨体とコンクリートシャフトにより地震の揺れを吸収する形にしてあります。

 法隆寺の五重塔は、ゆっくり揺れる心柱と、細かく揺れる屋根で、千三百年もの間に幾度かあったはずの地震に耐えてきたという説があります。この構造に学ぶところは大きいです。風にも十分耐える設計ですし、私は千年ぐらいもつ構造物だと思っています。

真剣な表情で話を聞く来場者

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 田村さん スカイツリーは決して倒れません。施工は、緻密な計画のもとに、ありとあらゆるシミュレーションを重ね、考え得る対策は全部とってきました。社内からも、「これほどまでに対策するとは」という声が上がったほどです。

 榎本支局長 スカイツリーのすぐ横には北十間川、そして隅田川も流れていますね。

 田村さん 俗に下町の地盤は悪いと言われていますが、基礎を、地中深く根を張る形にすることで建物を支えています。

 川に面した部分は防護の覆いをしなかったために、対岸から多くの方に工事現場を見ていただくことができました。個人のブログにも経過が刻々とアップされ、日ごろ見られることに慣れていない作業員たちは随分緊張したようです。それがかえって士気と安全意識を高めることになりました。

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 昨年の三月十八日に六百三十四メートルを達成してからは、観客が減ったことを寂しがる者もいたほどです。これが一番想定外でした。

 榎本支局長 展望台でのデザインにはどんな工夫が。

 吉野さん 二〇〇五年の設計スタートと同時に、高所を知る意味も兼ねて登山を始めました。これが、ぐるっと一周して日本一の高さにあがっていただく空中回廊のデザインにつながっています。すり鉢型の第一展望台は東京タワーを超える高さから自転車で走る人も見えるし、第二展望台の眺めは飛行機から見る風景に似ています。

 澄川さん 緩やかな勾配のある回廊の所々に踊り場があり、私の年でも大丈夫なように、うまくできています。雲があっても上がってみたほうがいいですよ。雲海が楽しめます。

 吉野さん ハイテク構造ですが、展望台のガラスの掃除はゴンドラ上の人手で行います。ただし、すり鉢型なので特殊な機構のゴンドラになっています。

 田村さん 私は、日本のゼネコンにとって一番の商品は工期を守ることだと思っています。それを実現するために、極力、周辺にお住まいの方に迷惑をかけないように、二十四時間で工事するなどの力技でなく、ゲイン塔を地上で組み立てて引き上げるリフトアップ工法など、さまざまな技術を駆使しました。作業に大きな影響を及ぼす上空の気象を、地上からの高さと時間ごとに予報できるシステムを開発して運用したりもしています。その中で、安全は二重、三重の設備でカバーし、取りつけ作業や解体作業の手数が少なくなる工夫を凝らしました。

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 作業員は皆、安全意識が高く、協力業者間でも自主的に安全対策を講じていました。世界一のものをつくる気概のある職人たちが集まって、最終的にいい仕事をするために適したいい環境になったと思います。

 吉野さん 押上駅の現場事務所から出てくる職人の胸の張り方たるや、すごかったですね。

 田村さん 震災後は特に、塔が成長していく姿に人々は勇気を与えられたのではないでしょうか。そういう意味で社会貢献ができたと自負していますが、大勢の皆さんのご協力と応援をいただいたことに感謝しています。スカイツリー開業後も、未来永劫(えいごう)繁栄していってほしいですね。

 澄川さん 工事現場に「上を向いて がんばろう日本」の大きな看板が出ていましたね。見に来てくれる人とともに頑張ろうという感じがあって、とてもよかった。

 私は歴史学者ではありませんが、この業平橋、押上は水路を伝わって物資を江戸に運んだところ。浮世絵の葛飾北斎がいたところでもあるんです。いわば江戸文化の発祥の地ですね。同時に、関東大震災、東京大空襲と歴史的に不幸な目に遭った場所でもあり、スカイツリーは江戸の中心にあるという誇りとともに、日本中を祈念する碑ではないでしょうか。

【司会まとめ】「笑顔や幸せ願い」榎本哲也・したまち支局長

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 のちにスカイツリーと名付けられる新タワーの建設地として墨田区が最有力候補に絞り込まれたのは、二〇〇五年。線路と川に挟まれた狭い予定地を見た私は、ここに世界一の塔が建つとは思えませんでした。それを建てた上に、狭いがゆえに、あの美しく不思議な形が生まれたと聞き、発想力と技術力の素晴らしさを感じました。

 完成時の高さ六百三十四メートルに達する直前に東日本大震災が発生して以来、支局の記者も震災や放射能汚染の取材に駆け回りました。

 澄川さんはスカイツリーを「歴史的な曲がり角のランドマーク」と表現されました。曲がり角の先に笑顔や幸せがあることを願い、開業後も周辺住民の方々の声に耳を傾けながら、取材を進めます。

 

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