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【東京新聞フォーラム】

「3・11からの船出―復興の現在(いま)を結ぶ千石船東廻り航路」

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 青森県の青森港を先月19日出港し、東日本大震災の被災地に寄港、復興に取り組む人と人、心と心の絆を結んできた復元弁才(べざい)船「みちのく丸」が、いよいよ東京・有明埠頭(ふとう)に到着する。東京都江東区の木材会館で同15日開かれた東京新聞フォーラムでは「3・11からの船出」をテーマに、江戸期整備された日本近海航路を行き来し、物流だけでなく文化交流という面での役割も果たしたという弁才船(千石船)についての講演の後、震災から2年4カ月たった今、被災地であらためて浮き彫りになっている課題などを議題に、熱い討論が交わされた。

【基調講演】昆政明氏(神奈川大学大学院教授)

 「みちのく丸」は、青森市内に造船所を特設し、岩手県の気仙船匠会の船大工らが中心となり建造しました。名実ともに千石を積むことができる千石船です。米百五十トン(一俵六十キロとし、二千五百俵)を一回に運べます。乗組員は十四、五人で非常に効率が良く、全長三十二メートル、全幅八・五メートル、帆柱の高さは二十八メートルです。

 「みちのく丸」は平成十七(二〇〇五)年秋に進水しました。日本はもちろん世界的に見ても木造の漁船を集めた博物館としては最大規模の青森「みちのく北方漁船博物館」財団の所有です。

 同種の復元船は最初が三百五十石積みの「気仙丸」、次いで五百石積みの「白山丸」。そのあとに「浪華丸」があります。これは千石積みの実物大の復元船で、大阪湾で帆走にも成功し、風上にも進むことができることを実証した歴史に残る業績をあげましたが、現在は建物の中にあって、帆を揚げて走ることはできません。

こん・まさあき 神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科教授。法政大学を卒業後、青森県郷土館に勤務。漁労民俗を中心にした民俗学、船舶史を研究。みちのく北方漁船博物館設立や千石船「みちのく丸」の復元、帆走に専門家の立場から参加した。

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 実質四番目が「みちのく丸」です。今は帆を揚げて海上を航行できる日本唯一の船です。棟梁(とうりょう)の新沼留之進さんたちは「白山丸」「浪華丸」の建造にも協力、その経験を「みちのく丸」に注ぎ込んだわけです。

 今回は東回り航路で「みちのく丸」が江戸・東京に入ります。ご存じのように、山形県の酒田を起点に、幕府の天領で収穫された米を江戸に運びました。津軽海峡を経て太平洋に出て江戸に行くのが東回り、西に向かい下関海峡を通り瀬戸内海、大阪、江戸に向かうのが西回りです。

 整備された西回り航路を使って江戸時代を代表する北前船が、北海道・蝦夷地から日本海を通って大阪まで通っていました。北前船の特色は大阪、あるいは瀬戸内海で荷物を積み込み、商いをしながら蝦夷地に向かう。そして蝦夷地ではニシン、昆布などさまざまな海産物を積み込んで、それを西の方の地域に販売する。この交流で、北日本の昆布と、かつおだしが出合い融合して、日本料理の味付けになっていく。このほか、近世のさまざまな産業に、大きな役割を果たしたといわれています。

 ここで語句の整理をしたいと思います。和船という言葉があります。日本で使われている船全体を和船と言っていいわけですが、弁才船は「べざい船」が本当の言い方です。字を読んで「べんざい」、中には「才」を「財」と書くのもありますが、これは船の形を表す名称です。弁才船のバリエーションとして、用途からくる名称として菱垣廻船(ひがきかいせん)、樽(たる)廻船、北前船があります。

 一昨年の時は日本海の北前船の航路を通ったので「復元北前船、みちのく丸周航」という言い方をしましたが、今回は東回り航路で江戸・東京に来るわけなので、そういう言い方はできません。復元弁才船と言うのが正確ですが、一般的になじみがある千石船という名称を使いました。

 弁才船の特色を三点あげておきます。一つは水密甲板がない。要するに波が押し込むと船の中に水が入ってしまうが、荷物の積み降ろしが楽という利点があります。そして水深の浅い港に入るための、上げ下ろしができる可動式の大きな舵(かじ)。それから一枚の大きな帆を使うことで少人数での操作が可能になる。これが弁才船に限らず和船の大きな特色です。

 実際、帆を揚げて走る場合、「みちのく丸」は、タグボートが前後に二そうに、警戒船と全部で四そうで船団を組んでいます。大きな帆を揚げて走るわけですから、非常にスピードが出ます。これまでの最高で約十ノット、時速十八キロから十九キロぐらいです。

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 順風の帆走と逆風の帆走というものがあります。陸奥湾の中で何回も何回も走らせてみて、さまざまな技術を習得してきたわけです。真後ろ(マトモ)から風を受けた場合、黙っていても前に進みます。斜め前からの風を帆に受けて進む、マギリを行うのが私たちの大きな目標でした。「浪華丸」は成功しておりますし、江戸時代の人たちは普通にやっていたわけです。

 単純にいえば帆桁を上げ下げするための身縄と、帆桁を操作するための手縄というのが左右についています。これで帆の方向を大きく決めて、帆の両端についている両方綱でふくらみを調整して、風上に向かって進むことができます。

 明治三十年代に撮ったマギリで走っている写真に、みちのく丸の写真を重ねてみますと、帆の形、綱の張り方が明治時代と全く同じ形になりました。私たちは復元できたと確信しています。

 今回の東回りの航海では、港と港の間はタグボートに引かれて移動。港に入り岸壁に係留され、船内見学などの催しが行われ、一日だけタグボートで船を固定して帆を揚げる。これを展帆(てんぱん)と言います。

 この船は相当に波があっても帆を揚げると非常に安定する性質があります。風の力によって押さえつけられるという形になるのでしょうか。マギリの場合ですが、左舷の綱を船首の方に思い切り引っ張って左前方からの風を受ける。そうすると横風を受ける状況になり、船全体が傾きます。船に乗っている時にはほとんど気が付きません。

 これと同じような状況を東京湾で再現できたらと思うわけです。ちょうどいいくらいの風が吹いて、帆が白く陸からもくっきり見える、そういう気候になってくれるように願って、お話を終わりたいと思います。

◆「みちのく丸」見に行こう 5〜7日、有明埠頭

 有明埠頭広場から、みちのく丸を見学、写真撮影することができます。帆は下がっています。乗船はできません。見学無料。

 ◇公開時間【5日】午前10時〜午後1時。午後1時以降は若洲・葛西沖で帆を上げるため埠頭を離岸します。【6、7日】午前10時〜午後4時

 ◇アクセス 新交通ゆりかもめ「国際展示場正門駅」下車、有明ターミナル方面へ徒歩5分

 ※船内見学(6、7日のみ)は有料・事前申込制。申し込みはクラブツーリズム=電03(5998)2233=へ。

【パネルディスカッション】みんなの街を取り戻す

よしだ・なりひこ デジタル・マーケティングを中心としたコンサルティングを行う傍ら、デジタルハリウッド大学大学院などで、人材教育にも携わる。木の文化の継承などが目的の一般社団法人木暮人倶楽部の理事長も務める。

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<司会>

吉田就彦氏(デジタルハリウッド大学大学院教授)

<パネリスト>

乾久美子氏(建築家)

嶋田賢和氏(釜石市副市長)

 吉田 まず「みんなの街を取り戻す」をテーマに討論します。被災地で現在、嶋田さんは行政、乾さんは建築を通じて実際に復興に取り組んでいます。最初に被災地を見た時の感想からお話しください。

 嶋田 私が被災地に入ったのは震災から約三カ月後の六月二十一日、私の誕生日でもあったのですが、二点強烈に覚えています。街の異常な臭いと、皆さんの怖い表情です。いろんな意味で、レベルで、皆さん必死だな、というのをひしひし感じました。

 乾 最初に伺ったのは八月でした。私も臭いが、夏だったこともあるし強烈だったことを覚えています。その臭いを感じながら、いたたまれない気持ちになりました。

 吉田 被災地で、最初に何をしようと思いましたか。

いぬい・くみこ 設計事務所主宰、東京芸大准教授。岩手県陸前高田市で被災住民のための「みんなの家」の設計、運営に建築家仲間らと携わる。宮城県、岩手県で小中学校の設計にあたっている。

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 嶋田 皆さん持ち場、持ち場で一生懸命でした。外から来た者として全体を把握する必要があると思いました。避難所やガレキ集積場所など街のあちらこちらを回り、今の課題や皆さんの不安、これからの問題が見えてきました。

 乾 全く何もない状況で、皆さんすごく我慢していました。仮設住宅での暮らしを目のあたりにして、何とか一日の中で短い間でも、ホッとする時間を提供するような場が必要だろうと強く思いました。こうした思いから「みんなの家」のようなものを建てるお手伝いをしたわけです。

 吉田 嶋田さんは、市民のみなさんの不安や焦りと向き合っていると伺いましたが、その時の対応の仕方や取り組み方というのは。

 嶋田 市役所全体で気をつけているのは二点あります。わかりやすさと、嘘(うそ)をつかないということです。できないことを「検討します」、次の機会にどうなっていると聞かれたら「検討しています」と答える。こんなことをやられたら誰も信用してくれません。

 吉田 ところで地域の合意形成と言いますか、皆さんのいろいろな思いを、一つの方向にまとめることは相当難しいのでは。

しまだ・よしかず 岩手県釜石市副市長。一橋大学経済学部卒業後、財務省に入省。2011年6月東北財務局総務部部付で釜石市へ派遣。釜石市総務企画部、復興推進本部事務局次長を経て、12年4月より現職。

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 嶋田 「住民の皆さんの思いVS役所」という場面が時々ある。これは役所側がわかりやすく丁寧に説明するしかない。もうひとつ、地域の中で考え方が二分されることがある。半分の人は、同じ場所に住みたい。半分の人は、ここは怖いから高い所に行こうという。こうした場合、役所は立ち往生です。乾さんのように外からきていただいた中立的な人たちに、議論に加わってもらうことで、話がまとまったことがあって、非常に助かりました。

 乾 公共などの大きな建築設計の場合、皆さん建物ができることを楽しみにしてくださる側面があり、合意形成というのにもう少しなごやかな傾向はあるかもしれません。とはいっても例えば小、中学校となると早く建ててほしいという意見がある一方で、早くより、将来にしっかりと使えるものをという意見があって、矛盾してしまう。どっちももっともな意見なので、結構大変だなと思いながらやっています。

 吉田 被災地にこれからつくろうとするものについて、ビジョンはありますか。

 嶋田 地域の人に使っていただき、愛していただくのが前提条件。緑と海が広がる街に、見たことがない斬新な建物ができても、地域の人たちにとって違和感がある。その一方で自然、地形、地域の人たちの思い出といったものを残すというバランスが大事と思っています。

 乾 建物を建てるのであれば、こういう建物が近くにあるからここに住みたいよね、と思ってくれるようなものをつくるということでしょうか。そうした意味で小、中学校というのは街づくりの起点になるといわれており、釜石市はそのことを意識的に取り入れようとしています。こうした点を踏まえて私たちは設計をしています。大切なのは斬新さより、その土地の記憶を引き継ぐということ。将来の維持管理についても配慮が必要で、また複合的に価値ある建物にしていくのも大事だと思っています。

 吉田 お二人から復興に取り組む姿勢を伺いました。気仙沼の市長さんが「創造的な復興に取り組みたい」と話していました。創造的な復興というのが、大きなキーワードとして、あらためて浮かんできました。

【パネルディスカッション】被災地からのメッセージ

<パネリスト>

高野知厚氏(クラブツーリズム)

榎田竜路氏(映像プロデューサー)

大矢中子氏(NPO法人理事長)

たかの・ともあつ 1988年、近畿日本ツーリスト入社。2004年クラブツーリズムへ。10年から地域交流部で、自治体と連携し、年間約100本の地域振興を図るイベント型ツアーの立案、実施に取り組んでいる。

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 吉田 次に情報や人の出入りで復興支援活動する人たちに集まってもらいました。嶋田さん、乾さんの話の感想から伺います。

 榎田 合意形成。大事なのはわかりますが、その過程はそれは人間の心理、心の原理で難しいな。

 大矢 街を作っていく主役は住民です。日本の人口が減少傾向にあり、被災地は過疎化が進んでいる。街を作るにしても成長を前提ではなく、減少していくことが許容されるような作り方を考えなくてはいけないと思いました。

 高野 「みんなの家」に観光客が押し寄せた場合、地域の人の心の安寧を妨げてしまう可能性があることを理解しました。企画を立てる者として良い勉強になりました。

 吉田 今度のテーマは「被災地からのメッセージ」です。地域発信について、メディアの在り方をどのように考えていますか。

 榎田 メディアは日本語でいえば媒体。テレビとかネットとか画面で映るものと思われるのですが、それは実態ではなく、どうつなげるか。最初に考えたのは、被災した人たちが、自分で自分のメディアを持つべきだということです。

えのきだ・りゅうじ 「復興支援メディア隊」を結成し、被災地の子どもたちからのメッセージを発信している。ショートムービー「未来への教科書」を制作。BS12チャンネルで放送されている。

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 大矢 石巻では大学に進学すると仙台とか東京に出てしまいます。四年間を別の街で過ごし、卒業して地元に戻ってくるという流れは中、高校生のうちにいかに街と接して、関係性をつくるかにあると思います。それには若い世代に情報発信の担い手になってもらうのが一番ではないでしょうか。

 吉田 榎田さん、メディアを使って何を発信し、何を伝えたいと。

 榎田 情報には説明できるものと、できないものとの二種類ある。説明できる情報は、何が、いつ、どこで起こりましたといった情報です。説明できない情報は、思いや気持ち、心といったもの。説明の情報だけだと人間は満足しない。

 吉田 大矢さん、中、高校生たちが発信していますね。彼らの伝えたいという思いをどのように感じられていますか。

 大矢 彼らは何かを発信したいとやる気にあふれています。そのやる気をサポートしているだけなので、何を伝えるかは自分たちで考えてもらっています。悩みながらやっています。それが成長につながっている。

おおや・なかこ NPO法人メディアージ理事長。インターネットを使った映像配信のコンテンツ企画・制作に携わった経験を生かし、被災地でのネット・メディアを活用した支援プロジェクト「笑顔311」に取り組む。

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 吉田 高野さんの方は、さまざまな受け取り側の人たちに、どんなメッセージを。

 高野 やはり現地に行くツアーにご参加いただきたいと思います。地元の食べ物を召し上がり、郷土芸能を楽しむツアーや、三陸鉄道の島越駅舎などの再建支援ツアーも作っていますので、ぜひ福島県や宮城県など東北の地に向かうツアーにご参加ください。

 榎田 最初に陸前高田に入った時にびっくりしました。「こんなことが起こっていいのか」という状況が目の前に広がり、言葉にならない。その時に「子どもたちを頼む」という声が聞こえてきました。幻聴です。われわれが未来に向かうための教科書になるよう、さまざまな意見、思い、活動がそこにある。それを子どもたちに見てもらい、こんな大人たちが、がんばっていると伝えていきたい。その声に応えるため、「未来への教科書」というテレビ番組を作り続けています。

 吉田 あるテレビで放送作家の小山薫堂さんが日本の文化というのは和の文化、その「和」をあえると読ませました。さまざまなものをあえることによって新たな価値を生み出す。昔の歴史であり、思いであったり、その時生きていた人の気持ちであったり、そんなことを未来をつくる子どもたちと、思いをあえていく。現地のさまざまな人たちの頑張りと、僕らみたいな外側にいる人の気持ち、思いをあえていく。その気持ちを次の時代につなげることで、われわれも、被災地も、日本も立ち上がれるような気がします。「みちのく丸」も復元弁才船です。昔のものを作り直し、継承しながら次の時代に進めていく。被災地の復興も同じように再創造だと思います。

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 ◆「みんなの家」 伊東豊雄さんら5人の建築家が2011年の震災後に提唱、推進する建築プロジェクト。被災住民の安らぎや人々の交流を促す場「みんなの家」の建設を、協賛金や助成、ボランティアの協力を得て進めている。現在までに仙台市、宮城県東松島市、岩手県釜石市、陸前高田市=写真=など6カ所に完成。さらに福島県中通り地域など東北6カ所に建設を予定する。陸前高田市における工程は昨年の第13回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展でグランプリを受賞した。

 

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