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【東京新聞フォーラム】

「ちかづく かがやく ほくりくへGO!」

試験走行で初めてJR長野駅に入線した新型車両E7系=2013年12月15日、長野市で

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 「かがやき」「はくたか」「つるぎ」「あさま」と、愛称が決まり、北陸新幹線開業まであと1年余と迫った。東京−金沢2時間半、東京−富山2時間と、首都圏と北陸がグッと近くなる。1月13日の成人の日、東京都墨田区の江戸東京博物館で開いた東京新聞フォーラム「ちかづく かがやく ほくりくへGO!」には、石川県七尾出身の画家長谷川等伯(とうはく)の半生を書いた「等伯」で直木賞を受賞した安部龍太郎さん、石川県観光連盟理事長の小田禎彦さん、金沢の老舗旅館を舞台にした東海テレビ制作、フジテレビ系で放送中の「花嫁のれん」で大女将(おかみ)役を演じる富山県出身の女優野際陽子さんに集まってもらい、一足先に北陸の魅力を語ってもらった。

◆仙石誠 東京新聞代表あいさつ

 新年最初のフォーラムは、来春北陸新幹線が金沢まで開通するのを機に北陸通のお三方をお招きしました。安部龍太郎先生は、以前、東京新聞夕刊で「下天(げてん)を謀る」という小説を連載していただき本になっています。戦国ものの時代小説では、つとに聞こえ健筆をふるわれている小説家で、昨年「等伯」で直木賞を取られたのはご承知の通り。等伯が画壇に登場したのはかなり年齢がいってからですが、安部先生が「私もこの年になって、やっと認めてもらえた」とお話ししたのが印象に残っています。

 第二部は野際陽子さん、加賀屋会長の小田禎彦さんと安部さんが加わっての鼎談(ていだん)です。楽しいお話を期待します。

【基調講演】作家・安部龍太郎さん

 「等伯を書くまで」

北陸の歴史などを語る安部龍太郎さん

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 <1> 直木賞を「等伯(とうはく)」という作品でいただき一年になります。きょうは「等伯を書くまで」というテーマで話させていただきます。

 初めて能登を訪ねたのは二十二、三年前で、能登半島突端の珠洲(すず)出身の挿絵画家、西のぼるさんにお招きいただいたんです。西さんとは僕が小説家デビューした二十五年ほど前からのおつき合いです。

 何かといいますと「キリコ祭り」です。能登半島は夏の間、いろいろなところでキリコ(奉灯)祭りが行われます。半島突端の大谷に「馬緤(まつなぎ)」という土地があって、そこの友人を訪ねキリコも引かせていただきました。

 その友人の家で祭りの接待を受けましたが、座敷にコの字形にお膳を並べ、真ん中に家の主人が座り、料理を取り分けたり、お酒をついだりするんです。平安時代などの接待の古い形が、そのまま残っていることに感心しました。

 あの辺りは平安時代から栄えた土地で、かつて大納言(だいなごん)であった平時忠(たいらのときただ)が、壇の浦(だんのうら)で平家が滅びた後も能登半島に勢力を張ります。その子孫が時国家(ときくにけ)(時国は時忠の息子)という形で、今も大きな屋敷を維持しています。

 頼朝に追われた源義経が、奥州平泉に逃げて行く途中に能登半島に来ます。時忠の娘が義経の嫁ですから義理の父です。義経は、半島の先端の港から日本海を渡って、現在の山形県鼠ケ関(ねずがせき)に上陸する。その時に義経が航海の無事を願って奉納した「蝉折(せみおれ)の笛」が須須(すず)神社に残されています。

国宝「松林図」 長谷川等伯筆 六曲一双、紙本墨画、安土桃山時代(16世紀) 東京国立博物館蔵(写真提供同館)

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 <2> 能登に来る途中に安宅(あたか)関があります。この話は歌舞伎で有名な勧進帳という演目になっていますが、義経一行が安宅関まで行ったのは実は陸路ではないという説が近頃有力です。安全なところまで船で来て、能登に入り、そこから奥州へ向かった。義経は安全で早い道をたどったのだということを知り、そこから新しい義経像ができるのではと、義経と頼朝を主人公にした「天馬、翔ける」という小説の構想を得ました。

 日本海は冬場は船が出せませんが、温暖な季節は波が静かで安全なのです。日本海交易は江戸時代近くになると北前船という呼ばれ方をします。北前船は北海道、東北から山口県まで行き、瀬戸内海から大阪までたどっています。その航路は平安時代からあったということがわかり、その中心が能登半島や富山湾であったわけです。

 それを証明するものが焼き物の珠洲焼です。平安時代に、日本海側の主要な港に分布している。作られた時期が二百年間ほどですから、能登が当時、交通の要所だったと考えられます。

 もうひとつ重要なのが大陸との交易です。日本海を隔てて北陸地方は大陸と接しています。古い時代に対馬海流に乗って朝鮮半島から能登、あるいは北陸地方に多くの人たちが渡ってきた歴史があります。能登の方言のイントネーション、朝鮮半島の習俗を色濃く残している祭り、そして地名にもたくさん朝鮮半島との関わりがうかがえます。奈良、平安時代に彼らと一緒に文化や文明が伝来したのです。技術、宗教、哲学、それらが海を渡ってきて、その土地柄を形成していった。当時の日本の先進地域にあたるわけです。

 僕は二十数年の間に、年に一回か二回は能登、あるいは金沢、白山などを訪ね、多くの人と知り合い、さまざまな文化的な伝承を経験しました。その集大成として等伯が書けたのではないかと思っています。

 等伯に取り組むきっかけも西さんでした。僕が戦国時代の絵師を書きたい、と話した時に「それなら等伯を書いてくれ、自分の故郷七尾に素晴らしい絵描きがいる」と言われたのが五年ぐらい前です。私は等伯を知りませんでした。二〇一〇年の春、没後四百年展が東京国立博物館でありました。連載にかかる一年ほど前のことです。最も強い印象を受けたのが「松林図」でした。前に立つと、あの絵の中に連れていかれるような気がする。こんな絵を人間がどうやって描けたんだろうというぐらい衝撃的な絵で、それを見た時に、僕のテーマはこの松林図を描くまでの等伯、等伯がどうしてこんな絵が描けたのかを物語の中で書くことなんだな、と決意しました。

集結したキリコ=2013年8月15日、石川県能登町で

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 <3> あの絵は悟りを表す曼荼羅(まんだら)のようだと思いました。あの悟りにどうやっていきついたのか。彼の人生全部があそこに集約されている。しかも、能登の人らしい絵だと思うわけです。雪山の中の松林、厳しい冬の情景もそうですし、一本、一本の松が強風に吹きさらされて、ずっと耐えてきた姿の松を描いています。雪国らしい暗い気配もある。それだけではなく、厳しさを突き抜けて、何かをつかんだという悟りの境地というものがあの絵から伝わってくるのですね。

 また気品に満ちている。能登という土地が持っている気品だと思います。北陸の厳しい条件にもかかわらず七尾湾は穏やかで、豊かなんです。そこに住む人たちはつつましやかに、ある種の祈りとともに生きていると感じます。しかも文化的先進地域である。

 その土壌の上にもうひとつ文化の華が咲きます。畠山文化です。一五二〇年ぐらいから五〇年ぐらいの間です。畠山家は能登の守護職ですが同時に室町幕府の管領(かんれい)家という家柄であった。普段は京都に住んで将軍家の外交や政治をやるのですが、応仁の乱以後、領国に帰ったのです。その畠山家を頼って京都から和歌、絵画、書道の世界の人など文化人やお公家さんが能登にやってきて住みついたわけです。

 そういう環境で一五三九年に生まれた等伯も育ちます。ですから片田舎にいた人が一念発起して都に出て、一流の絵師になったというタイプではないのです。畠山文化の七尾の豊かな土壌から生まれ育って、そこでいろいろなものを吸収していった。

 等伯は奥村家という下級の武士の家に生まれ、長谷川家に養子にいく。長谷川家は染物屋で、染物屋というのは当時、ものすごい経済力を持っていたのです。絵付けもするので絵も描き、色彩感覚も優れてなくてはいけない。等伯の色彩感覚は、染物屋で修業した成果だと思います。

 長谷川家は絵仏師として、日蓮宗のお寺さんに納める仏画を描く仕事もしていました。涅槃図(ねはんず)が主力商品だったようで、養祖父の無分(むぶん)さん、養父の宗清さん、等伯も描いてます。等伯はそういう伝統の中で自分を磨き上げていった。絵の水準は二十六歳の頃に描いた十二天像を見れば、既に日本でも一流の域に達していたのがよくわかります。使っている絵の具も実に鮮やかで、京都で一流の絵の具師が作ったと思われるほどすごいもので、七尾と京都がこの時代、あるいは祖父の時代から交流があったことをうかがわせます。

 等伯は三十三歳まで七尾で我慢していたんですが、ある転機が訪れていよいよ都に出ていくという時が来ます。ここからが僕の等伯という小説がスタートする場面ですので、続きは本でお楽しみください。

 <あべ・りゅうたろう> 東京都大田区役所に就職、後に図書館司書を務める。その間、数々の新人賞に応募。1990年「血の日本史」で文壇デビュー。「信長燃ゆ」「下天を謀る」「レオン氏郷」ほか多数の作品を発表、歴史小説の第一人者となる。2013年、「等伯」で第148回直木賞を受賞。1955年、福岡県八女市生まれ。

【鼎談】「北陸新幹線への期待」

 安部龍太郎さん(作家)、小田禎彦さん(石川県観光連盟理事長)、野際陽子さん(女優)

 聞き手・小谷あゆみさん(フリーアナウンサー)

北陸の思い出を語る野際陽子さん

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 <1> 野際陽子さん テレビドラマ「花嫁のれん」で金沢の老舗旅館「かぐらや」の大女将をやらさせていただいています。私は富山の出身ですが、母は金沢から三十分ほどの津幡(つばた)という町で生まれ、私も産声をそこで上げました。若い時分は北陸や金沢、富山のことを考えませんでしたが、年とともに懐かしく思えてきまして、新幹線が通るまでがんばって、一号車に乗ろうとか思っております。

 小田禎彦さん 首都圏から金沢へ二時間三十分の新幹線の開通が迫ってきました。北陸には多くの温泉地をはじめ素晴らしい観光資源があります。「一周遅れのトップランナー」という人もいます。開発が遅れたことで、日本の素晴らしい文化が破壊されないで残っているのも魅力ではないかと思います。

 小谷あゆみさん 北陸の魅力の一つとして温かみとか、人間性とかを小田さんはどのように。

 小田 能登に住む者は昔からもてなしの心、相手の立場に立って思いやる優しい心を有していると思います。地域の産業が育ちにくい中で、人に来ていただき、おもてなしをすることで、サービスそのものをビジネスとして育てていこうという要素が能登にあったと考えています。

 野際 北陸の女性は心(しん)が強いけれども、とても朗らかという印象があります。心の内に秘めた朗らかさがあって、強さがあって、それが「おもてなし」に表れるのではないでしょうか。

石川県のキャラクターを披露する小田禎彦理事長

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 <2> 安部 京都の出汁(だし)文化というのがあります。折しも伝統的な和食が世界無形文化遺産に選ばれました。あの出汁のさりげなさ、だけれどなければ料理にならない。おもてなしの極意というのは、もしかしたらあの出汁かもしれないな。

 小谷 世界無形文化遺産の食の話が出ましたが、食といえば石川、北陸の魅力はたくさんありますよね。

 小田 能登半島は大変うれしい世界的な認定を二ついただきました。一つは世界農業遺産で、佐渡島と併せてちょうだいしました。輪島の近くの曽々木(そそぎ)の千枚田、砂浜に海水をまいて塩をつくる揚げ浜塩田。それと魚やイカの内臓を使った「いしる」や日本酒に代表される発酵文化。こういうものが能登には優れた技術として残されていると指定を受けました。

 もう一つは無形文化遺産の和食です。京都と、もう一つの場所として北陸・金沢を知っていただきたい。能登沖は暖流と寒流が交差し、多種多様な魚が捕れます。海産物に能登野菜、加賀野菜など優れた食材の宝庫なのです。

 小谷 等伯の中にも食の話が出てきます。

 安部 とにかく魚がおいしい。僕はいろいろな土地に取材に行くと、必ず一人でも居酒屋に行き、地元の人たちと話をして、おいしいものをいただく。それを等伯にも食べさせたいと思い、作品に描いています。

 小谷 北陸の気候とか風土が作り出した伝統文化がありますね。

出荷されるブランド「ひみ寒ブリ」=2013年11月13日、富山県氷見市の氷見漁港で

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 安部 僕は三、四年前に(七尾市の)青柏(せいはく)祭という祭りに初めて参加しました。でか山といって日本一ともいえる巨大な規模で、船の形をしているんです。七尾湾に北前船が入り、海の幸をもたらしていたことを象徴していると思います。

 小田 能登の祭り、北陸の祭りはでか山、キリコに代表されるように、夏になるとほとんど毎晩行われます。大漁、豊年満作を神に祈る祭りで、昔からの伝えどおりに愚直に引き継いで開催している。なかなか見応えがあると思います。

 小谷 北陸の伝統文化はいかがでしょうか。

 小田 北陸の魅力の一つは伝統工芸品だと思います。輪島塗、加賀友禅、九谷焼、象眼、金箔(きんぱく)、大樋(おおひ)焼。伝統が作り出した芸術品で、北陸の誇りです。前田の殿様は文化の殿様で、いろいろな技術者を雇用し作品を作らせた。その文化がまさに花開き、北陸の魅力を作り出していると思います。

 最近の全国的流行ですが、石川県も遅ればせながらゆるキャラ「ひゃくまんさん」を作りました。ひげが漆で、ダルマの衣装が加賀友禅というのがミソです。

 小谷 加賀友禅をお召しになっている野際さんはどうですか。

 野際 加賀友禅って非常に色合いがしっとりとして何ともいえない。ぼかしの感じとかが。京友禅とは違う大人っぽい魅力がございますね。

青柏祭最終日、御祓川沿いに集結した3基のでか山=2013年5月5日、石川県七尾市で

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 <3> 安部 西のぼるさんの絵もそうなんですが、グラデーションがすごくきれいなんです。北陸の空の色を見ていて、薄緑色から薄紅色に変わっていくような、あの空の淡さ、色の淡さというのが、西さんの色づかいの感覚を作ったんだなと感じます。

 この間、大樋焼のお茶わんを一つ買い求めたんです。茶室の薄暗い明かりで使ってみると、赤っぽい肌が緑色のお茶と合うんですよ。そういう伝統工芸品を、ただ眺めるだけでなく、自分で実際に使う楽しみは、土地の文化力というものを肌で感じる機会でもあります。

 小谷 金沢と能登の違い、良さはなんですか。

 小田 金沢はかつて小京都で売り出そうとしていましたが、文化はお金にならないと言われた時期がありました。

 最近になって地域、町おこしをするにも文化という背筋が一本シャンと通っていないと、人が魅力を感じてくれないと言われるようになりました。その点では金沢の文化を誇りに思っています。一方で自然をしっかりと残している能登は過疎化、高齢化、少子化が悩みですが、その中に昔ながらの素晴らしい文化を継承しています。

 小谷 来年開通する新幹線への期待を一言。

 安部 ぜひ祭りに行ってほしい。能登半島は交通の十字路なんですね。陸路と海路が、東西の道路が出合うところでもある。そこにさまざまな人たちが住みついて多様な文化と祭りを形成している。能登の祭りには多様性がいっぱい詰まっているので飽きません。

 野際 列車の旅って本当にいい旅で、季節季節に風景が変わります。能登空港から和倉に入っていく時に、すごく緑が多いんです。五月に行った際は山フジが、山中の木という木に絡まって、花畑のように咲いていたのを思い出します。新幹線でそういう季節感を味わいに行けるのではないでしょうか。

 小田 北陸は人が住んで住みよい、その一つに人が優しい、というお話をよく聞きます。人が面白いということでしょうか。ぜひ人に会いに来ていただきたい。

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 <のぎわ・ようこ> 1958年、NHKアナウンサーとして入局。退局後、63年にTBS「悲の器」で女優デビュー。「キイハンター」「ハルとナツ」「大奥」など多数出演。富山県出身。

 <おだ・さだひこ> 石川県観光連盟理事長、能登半島広域観光協会理事長などの公職を務める。2003年、政府選定の観光カリスマに選ばれる。七尾市和倉温泉の加賀屋代表取締役会長。1940年生まれ。

 

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