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【東京新聞フォーラム】

「戦後70年と美術館」

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 戦後七十年を迎えた今年、美術館が戦後の日本の地域社会に果たしてきた役割と、文化の発信拠点として期待される存在であり続けるための課題などを探る東京新聞フォーラム「戦後70年と美術館」が六月二十七日、東京都千代田区の日本プレスセンターホールで開催された。ゲストは大原美術館館長の高階秀爾(たかしなしゅうじ)氏、神奈川県立近代美術館館長の水沢勉氏、アーツ千代田3331統括ディレクターの中村政人氏、美術館好きで知られる女優のミムラ氏。高階氏の基調講演に続き、水沢氏、中村氏が発表。さらにパネルディスカッションが行われ、約三百五十人の参加者は興味津々に聞き入っていた。

【主催者あいさつ】鷲見卓・中日新聞社(東京新聞)取締役事業担当

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 東京新聞フォーラムは毎回タイムリーなテーマを取り上げ、開催しています。今回は「美術館」を選びました。戦後間もない1951(昭和26)年、鎌倉に日本初の公立美術館として開館した神奈川県立近代美術館が、身近に美術館がない時代、どんな役割を果たしてきたか、軌跡を検証するとともに、パネルディスカッションでは地域社会、将来の文化発信に美術館がどうかかわってくるか考えたいと思います。どうぞ最後までお楽しみください。

【基調講演】高階秀爾氏 時間と空間 交差する場所

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 まず、「美術館」って何だろう−を考えてみたい。世界には美術館、博物館、ギャラリー…といろいろあります。第一に美術館は美術作品を集める場所であります。その美術作品は「物」であり、公開されることで初めて人々の目に入り、伝えられるのです。

 かつては王様が集めた作品を宮殿に飾り、限られた貴族に見せていた時代もあるが、誰でも行ける場所としては一七九三年に誕生したフランスのルーヴル美術館が重要なポイントになるのではないでしょうか。美術作品は宝物であり、千年、二千年という長い歴史を背負っているものもあります。その意味では過去と現在、将来をつなげる「時間軸」を見せるという意味もあるんです。

 それらを展示する美術館という空間は、見る側にはオープンな場ですから、作品の「時間軸」と人々の「空間軸」が交差する「十字路」でもあると思います。

 日本では美術館は法的には博物館の一つと位置付けられています。ルーヴルに先駆け一七五三年に大英博物館が開館していますが、美術専門ではありませんでした。絵画専門としてロンドンにナショナル・ギャラリーがオープンしたのは一八三八年でした。

 今度は地域と美術館のかかわりを考えてみます。ロンドンは一八九七年に開館したテート・ギャラリーを含めて市内北から南まで美術館が散らされる形になっています。逆にフランスでは、ルーヴル、オルセー、ポンピドーなどいずれも徒歩圏内に集中しています。フランスは来場する客に利便性を提供したわけです。

 ロンドンの場合は一つ一つの美術館が存在する地域に深く根差しています。多くは入場無料でそれだけ地域社会の人を迎えようという考えなのです。

 建物の構造にも美術館を考える要素があります。米ワシントンのスミソニアン博物館は壁が多くあり、外部とは閉ざされた建物です。これを「ホワイトキューブ(立方体)」と呼び、一つの建物の基本理念になっています。一方で独ケルンのローマ・ゲルマン博物館は市中心部の人が集まるエリアという性格を生かすよう、外から内部がのぞける構造になっています。まさにホワイトキューブの逆です。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館

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 都市再生の代名詞に「ビルバオ効果」というのがあります。スペインのさびれつつあった街・ビルバオに建築家のフランク・ゲーリーの設計で、壁も窓もまっすぐな面がないユニークな建物・グッゲンハイム美術館を街の活性化策として建て、人々が集まるようになりました。

 私が館長を務める大原美術館(岡山県倉敷市)は一九三〇(昭和五)年、国内初の美術専門館として開館しました。以降戦後に神奈川県立近代美術館(通称・鎌近)、企業系としてブリヂストン美術館、国立の近代美術館などが相次いでオープンし、七〇年代以降建設ラッシュとなります。

 鎌近は日本の美術館の歴史の重要な一歩だったと思っています。今日は鎌近の水沢館長も見えていますので、国立よりも早く戦後の連合国占領時代の日本に美術館、それも近代に絞った館を造った理由を聞いてみたいと思います。

 <たかしな・しゅうじ> 1932(昭和7)年、東京都生まれ。東大教養学部教養学科卒。東大大学院在学中に仏政府に招かれ留学生として渡仏。パリ大付属美術研究所などで西洋美術史を専攻。59年から国立西洋美術館勤務、東大教授を経て92年、国立西洋美術館館長に就任、退官後、2002年、岡山県倉敷市の大原美術館館長に就任。西洋美術振興財団理事長、東大名誉教授。12年に文化勲章受章。

◆水沢勉氏 古都に64年 時の集積で特別な場に

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 神奈川県立近代美術館が開館した時の姿から話してみたいと思います。一九五一年十一月十七日のオープン準備前の写真を見る度にまだ驚きがあります。当時は日本はまだ占領下。フラットルーフ(平屋根)から自然光を取り込んだスタイルは六十四年間ほとんど変わらずに維持され、使われてきました。今も訪れた人たちは特別な美術館としての印象を持たれています。

 高階さんが言われた「時間軸」と空間、都市という視点で考えると、鎌倉の材木座海岸から若宮大路を抜けて美術館のある鶴岡八幡宮の境内まで、都市との兼ね合いが建物の設計以上に考えられている気がするのです。境内に美術館があることを知らない人もいました。目立たないが、独立性をもって主張してきた感じがします。

 展示空間としての鎌近は来年一月末で活動を停止します。境内にある平家池の水面からの反射光が天井に当たるのも計算された美しい建物です。今はハスの白い花が咲いています。自在に眺められる展示館としての魅力を味わいにぜひ来ていただきたい。

 設計した坂倉準三と鎌近の副館長だった土方定一は二人とも岐阜県出身で東大で美術史を学びました。坂倉の師匠、ル・コルビュジエも一日だけだったが、坂倉に応じて来館、晴れがましい時間を過ごしたと聞きます。

 最後にわが美術館の現状をお伝えしなくてはいけません。展示は来年一月末に終わり、三月には閉館します。それから鎌近がどうなっていくか。十月四日まで「鎌倉からはじまった。 1951−2016 PART2」が開かれています。この展示を通じて鎌近が鎌倉の時間軸、空間軸に積層をなしていることは、みなさまに分かっていただけると思っています。

(左)2009年11月から翌年1月まで開催された内藤礼展・展示風景。敷地内にある平家池の水面からの反射光を生かしている(右)神奈川県立近代美術館の外観

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 <みずさわ・つとむ> 1952(昭和27)年、神奈川県生まれ。慶大大学院修士課程修了。78年、神奈川県立近代美術館に学芸員として採用。2011年、同館長。主に日独の近現代に関する展覧会を企画担当。08年の第3回横浜トリエンナーレ「タイムクレヴァス」ではアーティスティック・ディレクター。著書に「この終わりのときにも」(思潮社)など。

 <神奈川県立近代美術館> 1951(昭和26)年11月17日、鎌倉市の鶴岡八幡宮境内に開館。坂倉準三設計による日本初の公立近代美術館として注目された。84(昭和59)年、別館が開館、2003(平成15)年には葉山町に葉山館も開館した。鎌倉館は16年1月末、展覧会最終日をもって公開を終了し、3月末に閉館する。以降は鎌倉別館、葉山館の2館体制で活動を継続する。

◆中村政人氏 芸術と産業 地域一体で構造改革を

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 美術界は縮小してきています。その一つの現象として、私が教えている東京芸術大学の油画専攻の受験者数は三十年前の約三千人から現在は千人に激減しています。少子化などの理由もありますが、これまでの美術体験が偏見や敬遠する人を生み出してきているとも言え、美術界の構造的問題が原因と考えます。

 日本の美術界は、アーティストを基盤層とし、美術館、財団、個人のコレクターなど作品を購入する層が最上位にあり、その下には行政等の文化プログラム、公募団体展、アートNPOの地域活動などが位置する階層構造となっています。アーティスト志望が減っているので、やがてすそ野の狭い不安定な構造になります。

 私は、この縮小する美術界の構造を安定的にするために三つの方向に活動を拡張すべきだと思います。一つは、多様な社会課題を抱える地域コミュニティでの活動です。二つ目は、伝統工芸から最先端ロボット製造までのものづくりを支援するクリエーティブ産業での活動です。三つ目は、音楽や映画、メディアアートなど複合的なアート活動です。

 このように「アート×産業×コミュニティ」が相乗効果を生み出すことで、縮小する美術界が経済的にも自立し、新しい価値観を受け止め、共感する創造文化都市が形成されていきます。私が運営する「アーツ千代田 3331」(旧千代田区立練成中学校をリノベーションして二〇一〇年に開館)は、美術館では拡張できないさまざまな活動を展開しています。

 これからの美術館にとって、縮小する美術界の構造を変え、アートの基盤を支え、地域コミュニティやクリエーティブ産業とともに成長していくのが大切だと思います。

アーツ千代田 3331=東京都千代田区で

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 <なかむら・まさと> 1963(昭和38)年、秋田県生まれ。2001年、第49回ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表アーティストとして参加。10年、アーティスト主導、民設民営のアートセンター「アーツ千代田 3331」を立ち上げ、統括ディレクターを務める。同年、芸術選奨文科大臣新人賞を受賞。東京芸術大教授。

【公開討論会】高階秀爾氏×水沢勉氏×中村政人氏×ミムラ氏

 「美術館とコミュニティ」がテーマのパネルディスカッションには、高階氏、水沢氏、中村氏にミムラ氏も加わり、さまざまな視点や経験談などが披露された。

 高階氏 ミムラさんは高校生の時、埼玉県から神奈川県立近代美術館(鎌近)によく通われていたそうですね。

 ミムラ氏 私は高校に美術の推薦で入学したのになぜか、女優になりました。当時、鎌近は週一で通っていました。そこにいると安心できたんです。私は曇りと雨の日が特に好きで、鎌近のお気に入りの場所にベッドを置いて寝たいぐらいです。

パネルディスカッションする(左から)ミムラ氏、中村政人氏、水沢勉氏と司会の高階秀爾氏

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 でも最初は小町通りを歩いていて通りから「何だろう」と入っていったんです。鎌倉という観光地のにぎやかさとは、離れた「勝手口」的な存在で、副交感神経を刺激するとでも言えばいいんでしょうか。建物のキャラでひかれた感じです。

 高階 東京の真ん中で「アーツ千代田 3331」のような存在はどのような意義を持っていると考えますか。

 中村氏 地域に開かれた文化芸術活動の拠点です。それは、地域の子どもから海外のレジデンス(滞在制作)アーティストまで幅広く利用されていて、3331に来ると誰かに会え、誰しもが創造的になれる空間として機能しています。3331は敷居が低いのが特徴なので、東京における美術館の教育普及活動を補うような意味合いもあると思います。

 高階 美術館から見た美術の在り方は。

 水沢氏 鎌近が開館した時、所蔵作品はありませんでした。その後、いろんな可能性が広がりました。当初は作家に作品制作を依頼したり、プレイベントとして複製名画展を百貨店で開いたりもしていました。

 高階 新しい美術館が今求められていると感じますか。

 中村 感じます。しっかりと価値ある作品を守るという意味の美術館の機能は従来通り必要ですが、市場原理に右往左往するようなコレクションの在り方や、入場者数を気にしすぎるエンターテインメント型の企画展は、美術館の存在意義を弱めています。長期ビジョンを描き骨太な美術館の構造を再構築しなくてはなりません。

 高階 美術館の継続性ですね。美術から舞台芸術に移られたミムラさんの意見は。

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 ミムラ 私にとっての美術館は多様性。高額な館、散歩の途中に立ち寄れる気軽な館があってもいいのかな、と。

 高階 中村さんが指摘した受験生の激減ぶりはどうなんでしょう。

 中村 東京芸大の科の構成は百三十年ほぼ変わっていない。時代の動きに出遅れている。自分が卒業した秋田県の高校から三年連続で合格者を出したが、みんな小中高と同じ先生から学んでいた。そんな先生がうまくバトンタッチして指導してくれていたが、今は高校でも美術の時間がなくなり、アートの入り口とも言える進路指導の中で受験者が減っている。美術館には美術の先輩たちの作品と触れ合う場を提供するだけでなく、産業面やアートの入り口と出口をつなぐ複合的役割が必要になる。

 高階 社会普及教育に加えて美術館のスタッフ不足も深刻です。

 水沢 葉山館ができてから十年以上、美術教育にかかわってきました。子どもたちに伝えることが必要です。

 高階 大原美術館で二十年以上前から未就学児の美術教室を開いているが、彼らが親になると、子どもを連れてくる。若い人を巻き込む息の長い取り組みが求められている。ミムラさんは大好きな美術館に注文がありますか。

 ミムラ すてきな美術館を見つけると「ここで舞台やれたらな」と思う。

 水沢 (鎌近で)演劇をやったことはないですね。

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 ミムラ そんな試みも意味があるのでは。

 高階 大原美術館で現代美術の前でダンスパフォーマンスを披露したことがあったが、若い人には受けたものの、昔ながらのファンには「何やってんだ」と批判されました。でも、それはそれでいいんです。

 中村 3331のスペースは二十四時間使えます。場所ごとの良さを生かした新しいプログラムが必要だと思う。

 高階 特別な入場料で普段見られないものが見られるとか、お茶道具が実際に手で触れられるなどの手法はどうか。刀剣の類いは無理だろうが、これからの美術館では考えられる。

 水沢 鎌近の始まりはゼロから。敗戦し、県にお金はなく、収蔵品もない。鎌近の誕生は戦前へのアンチテーゼではないか。

 中村 美術館として機能が一時停止しても建物はある。次の役割が見えてくるならば、鎌近が途絶えることはないと思う。

 水沢 建物が残っていれば、みなさんの記憶にも残る。近代の建築物で捨てられたものは幾多もある。鎌近の強いメッセージは戦後の文化的出発だったと思う。

 高階 ミムラさんから美術館への要望は。

 ミムラ くつろぎを求めていつも行っていた自分を考えると、入るたびに味わえたくつろぎは戦後七十年を平和に暮らしてきたからこそ。これは残さなければと思います。

 高階 美術館の持つ歴史を支えるのは自治体、企業、職員、アーティストだけでなく、訪れる一般のみなさんが大切です。来ていただくことが応援なのです。

 <みむら> 1984(昭和59)年、埼玉県生まれ。2003年、フジテレビのドラマ「ビギナー」で女優デビュー。以降ドラマ、映画、舞台、CM、執筆など幅広いジャンルで活躍。著書に「ミムラの絵本日和」「ミムラの絵本散歩」(ともに白泉社)のほか、デビュー後12年の軌跡をまとめた新作エッセー「文集」(SDP)もこのほど出版した。

 

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