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【東京新聞フォーラム】

「天平の甍−平城京寺院の威容」

パネルディスカッションで発言する(左から)廣岡孝信氏、田中泉氏、森下惠介氏

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 奈良時代の寺院で実施されている近年の発掘・解体調査の成果を取り上げる東京新聞フォーラム「天平の甍(いらか)−平城京寺院の威容」が八月二十九日、東京都墨田区の都江戸東京博物館ホールで開催された。奈良市埋蔵文化財調査センター所長の森下惠介氏、奈良県教委文化財保存課建造物係長の田中泉氏、同県立橿原考古学研究所調査部主任研究員の廣岡孝信氏を講師に迎えたパネルディスカッションなどに、約四百人の聴講者は古代への思いをはせていた。

◆主催者あいさつ 東京新聞代表・大島宇一郎

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 本日は講師の方々に現在発掘・解体調査が進められている平城京の寺院に焦点を当てたお話をいただきます。講演やパネルディスカッションを通じて参加されたみなさまの心に古代の映像が浮かぶことを期待しております。最後までお楽しみください。

◆森下惠介氏 基調講演 国家を守る役割担う

 古代に「大寺」と呼ばれる寺院は単に規模が大きい寺のことをいうのではなく、国家が運営維持した官立の寺院を指し、王宮と王都を護持、国家鎮護を担う役割を持っていた。

唐招提寺金堂の保存修理事業で2006年に行われた上棟式

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 大寺と最初に呼ばれたのは七世紀、舒明(じょめい)天皇の発願(ほつがん)で造営された百済大寺であり、王宮を擁護する寺で、大王の寺の意味があった。百済大寺は後に天武天皇が飛鳥浄御原宮とともにつくられた高市大寺となり、文武天皇の藤原京の大官大寺、平城京の大安寺となった。

 七世紀後半、飛鳥の都市化につれ、天武天皇の勅命により、国家が維持、王都を護持する大官大寺、川原寺、飛鳥寺という三大寺が確立。さらに薬師寺の完成により大寺は四大寺となり、平城京遷都に伴い、大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺の四大寺が造営された。奈良時代においても国家第一の寺は舒明天皇の百済大寺の由緒を引く大安寺であった。

 これら大寺の大屋根の棟端には鴟尾(しび)が載り、柱や連子窓の鮮やかな色彩は律令(りつりょう)国家の権威を示し、国家を擁護する役割を果たしたと言えるだろう。

 <もりした・けいすけ> 1957(昭和32)年、奈良県生まれ。立命館大文学部史学科日本史専攻卒業。主な研究テーマは日本の古代律令国家が確立した7世紀後半に出現する都の「大寺」について。

◆田中泉氏 講演 彩色文様、建物外側にも

2009年の竣工(しゅんこう)式

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 平成21年に12年間に及ぶ保存修理を終えた国宝唐招提寺金堂の解体調査で、堂内だけでなく外部にも彩色痕跡があることが判明した。正面扉の取り外した金具の下から緑、赤、青色などのきらびやかな彩色文様が発見された。

 奈良時代前半における建築彩色は仏像の荘厳さを強調する目的とされていたが、奈良末期に建立されたとみられる唐招提寺金堂では彩色が建物全体を飾る目的に変わり、彩色範囲が広がっていたことが浮き彫りになった。

 <たなか・いずみ> 1967(昭和42)年、茨城県生まれ。横浜国大工学部博士課程前期修了(修士)。奈良県文化財保存事務所で「新薬師寺本堂」のほか「唐招提寺金堂」などの修理に従事。

◆廣岡孝信氏 講演 寺格で素材使い分け

復元された平城宮大極殿の鴟尾

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 奈良時代の都であった平城京の寺院の大屋根を飾る鴟尾(しび)は発掘調査では出土例は極めて少なく、金銅製は出土が確認されていない。

 しかし、奈良時代の史料では銅を主原料に金メッキを施した金銅製鴟尾の存在が記され、黄色、灰色の鴟尾が描かれた絵巻物もある。黄色は金銅製、灰色は土製の鴟尾と考えられ、平城京においては天皇の発願による寺院を最上級とし、寺院の格付けや重要度に応じて素材を使い分けていたことがうかがえる。

 <ひろおか・たかのぶ> 1968(昭和43)年、奈良県生まれ。関西大大学院修士課程修了(修士)。飛鳥時代の藤原京・寺院遺跡、奈良時代の平城京・東大寺などの調査を担当。遺跡や出土品を基に考古学的視点から研究。

◆パネルディスカッション

大山明彦奈良教育大学教授による唐招提寺金堂正面扉の彩色復元図

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 森下氏(コーディネーター) 国家が運営維持した官立の「大寺」を中心に話を進めます。唐招提寺の解体調査での新たな発見は?

 田中氏 各所に専門の画工によると思われる彩色文様が確認され、基礎部分の構造など解体修理前には見えなかったものが判明したのが大きかった。ただ、修理とはいえ、当初の形に復元してしまえば古い痕跡を消してしまうので、唐招提寺金堂では現状の形のまま修理しました。

 森下 廣岡さんが手掛けている奈良時代創建の東大寺東塔の発掘調査の成果は? 七重塔でなく、構造力学的に五重塔だったという意見もあります。

 廣岡氏 まだ何とも言えないのですが、東塔は平家の軍勢に焼かれ焼失後、鎌倉時代に再建されたので、二つの遺構が発見されるかもしれません。

 森下 楽しみですね。それでは古代寺院の設計や工法については?

 田中 建築・設計は構想を数値、図形などに置き換える作業ですから、専門の造寺司による設計図は必須であり、数値化もされていたのでしょう。

 森下 「天平の甍」は本当に八世紀(奈良時代)のものですか。

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 廣岡 唐招提寺の観察から時代の区別は正直難しいですが、使用されている木材の年輪年代調査から奈良時代末期に伐採した木材を使ったことは分かっています。

 森下 屋根にあるという点で、鴟尾(しび)と鯱(しゃちほこ)の関係は?

 廣岡 全く別物です。鴟尾は建物の格付けを示す屋根飾りで、鯱はインドの古代伝説にある水を呼ぶ魚「マカラ」にちなみ、防火のため飾ったとされ、鯱が日本に登場するのは鎌倉時代以降といわれます。

 森下 当時最先端の技術を使って建立された平城京の寺院は、続く各地の国分寺造営によって、その技術を全国に拡散させたものとも言えるでしょう。

 

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