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【東京新聞フォーラム】

竹内悌三賞記念 日本サッカー ベルリンの奇跡から80年〜そしてリオへ〜

日本サッカーの歴史について話す川淵三郎さん(右端)と石井幹子さん(右から2人目)=東京都文京区の日本サッカーミュージアムで

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 東京新聞フォーラム「竹内悌三賞記念 日本サッカー ベルリンの奇跡から80年〜そしてリオへ〜」が十一日、東京都文京区の日本サッカーミュージアムで開催された。第一部は「ベルリンの奇跡とは〜日本サッカーの歩み〜」と題し、ベルリン五輪(一九三六年)で五輪初出場の日本代表が優勝候補のスウェーデンを破った一戦をゲストが振り返った。第二部「リオ大会を占う」では八月に迫ったリオデジャネイロ五輪での戦いを展望した。聴講者百五十人はゲストたちの話に興味深く聞き入っていた。

【主催者あいさつ】松川貴・東京新聞事業局長

 いよいよ8月、リオ五輪が開幕します。ベルリン五輪で初出場のサッカー日本代表が優勝候補のスウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」から80年、そしてアトランタ五輪でブラジルを倒した「マイアミの奇跡」から20年。本日はその歴史的なゲームにゆかりのある方々がゲストです。最後までお楽しみください。

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ベルリン五輪初戦前に、練習場に集合した竹内悌三氏(前列右から4人目)ら日本代表チーム=1936年、ドイツで(石井幹子氏提供)

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◆第1部 必然の勝利だった

 牛木素吉郎氏 サッカーが日本に伝わったのは明治六(一八七三)年といいます。しかし、本格的普及は昭和、それも戦後になってから。そんな戦前のベルリン五輪の記録を竹之内さんが書かれた背景にはどんな構想があったのですか?

 竹之内響介氏 映画の脚本にしたくて関係者に取材を始めたのが十二年前でした。エピソードの多くが映像的だったからです。竹内悌三主将は東大出身、主力は早大。学生主体の日本代表でしたが、そもそも日本サッカーは師範学校で盛んになった背景もあり、学生たちは洋書を翻訳し、考えることに慣れていました。だからベルリンの勝利は「奇跡」ではなく、本場のサッカーを体感し、戦術を理詰めで修正した結果の「必然」の勝利であったと私は思っています。

 牛木 今、竹内主将の長女、石井さんとサッカーの縁は?

 石井幹子氏 父が出征前、「サッカーは何で人気が出ないのかな」とつぶやいていました。だからJリーグが一九九三年に誕生して本当にうれしかった。ヤンマースタジアム長居の照明を手掛け、日産スタジアムなども取り組みましたが、岡野俊一郎さん(元日本サッカー協会会長)に言われたのは、「サッカーの道場でなく、劇場にしたいんだ」の言葉。スポーツを楽しく、美しく見せるには光が大切と感じています。

 日本代表がナイターを経験したのはベルリン五輪で敗退後、スイス・チューリヒで地元のクラブチームと親善試合したのが初めてといいます。父もいましたが、1−16で大敗しました。ライトの中のプレーに驚いてしまったのでしょうね。

 牛木 川淵さんも代表として六四年東京五輪で強豪アルゼンチンを破りました。

 川淵三郎氏 当時は人気がなくて、「五輪のチケットない?」と聞かれて「サッカーならあるよ」と言われたほど(笑い)。(アルゼンチンに勝った当時の新聞写真を見ながら)スタンドが黒っぽいのは学生を動員したからですよ。

 自分は五八年、大学二年の時に日本代表に選ばれましたが、大会の壮行会のたびに幹部から「君たちはまだベルリンのチームの域に達していない」とげきを飛ばされた。メキシコ五輪で銅メダルを獲得するまで「ベルリンを追い越せ」と言われ続けました。

 メキシコ後はアトランタ(九六年)まで二十八年間五輪に出場できず、同じように「メキシコを超えろ」が続いたんです。

第2部では、「マイアミの奇跡」も振り返り、リオでの日本代表に期待する声が上がった

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◆第2部 ロンドン超え期待

 牛木 リオ五輪を前に(強化、育成を担う)技術委員長の西野さんは立場上、口が重いかもしれませんね。

 西野朗氏 言いにくい部分は城に任せてサポートします(笑い)。

 牛木 今話題は代表のOA(オーバーエイジ=二十三歳未満の五輪チームに三人まで年齢制限外の選手を入れ編成できる制度)がどうなるかでしょう。

 西野 私はブラジルの視察から帰国したばかりですが、代表メンバーにけが人も多く、OA決定は猶予してもらっています。(注・日本サッカー協会は、OA枠での選手起用を後日発表した)

 城彰二氏 (西野氏が監督を務めた)アトランタでの「マイアミの奇跡」の決勝点も実は西野監督が「ブラジルのGKとDFの連係に弱点があるから斜めからボールを入れれば何とかなる」との指示があったんです。でも(中田英寿選手、前園真聖選手ら)個性的なチームをまとめるのは大変だったと思います。

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 西野 自己主張が強いチームでしたが、アジア予選を勝ち抜き、世界に出たいという気持ちとうまく調和していたと思います。目標に向けたブレはまったくありませんでした。

 城 練習では口論したり、熱くなってましたが、ふだんは仲良く「勝つためには」をいつも考えていましたね。

 西野 やはり九三年のJリーグ誕生で育成・強化の面は変わりましたね。私はU−20、U−23の監督を務めたので、城もそうですが選手の成長を見ながらアプローチできた。

 城 五輪メンバーを選ぶのは苦労したのでは?

 西野 今、OAもそうですが、リオに向けて手倉森誠監督は苦労していると思います。二〇一八年のロシアワールドカップ(W杯)に向けての考えもあるでしょう。五輪予選は二十三人の枠でしたが、本番は十八人。OA三人を使えば、三分の一は入れ替わる。

 城 自分はOAは入れない方がいいと思う。ここまで戦ってきたレギュラーが外れるし、チームとしてのまとまりがどうなるか。三人でなくても二人でもいい。年齢差のある選手が入ればリスペクトが強すぎてしまうし、主張の強い選手だと和が心配だし…。

 牛木 ブラジルは広い国でコンディションづくりも大変では。

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 西野 実際、違う国で戦うようなもの。航空機で六時間もかかるスタジアムもあり、手倉森監督も準備と選手管理が大変です。

 牛木 日本の入った予選B組はいかがですか?

 城 どの組も「死の組」ですよ。初戦ナイジェリアは暑さに慣れている。

 西野 スウェーデン、コロンビアも欧州で活躍するトップレベルの選手を招集できれば、B組は非常に高いレベルで拮抗(きっこう)するでしょう。手倉森監督は予選を突破し、A組ブラジルと対戦したがっています。ブラジルが1位突破ならB組2位と対戦、2位突破だと、B組1位と、です。

 城 開催国のブラジルは五輪優勝がない。日本は対戦できれば大きな経験になるはずです。

 牛木 最後に日本はどこまで期待できますか?

 西野 十分トップ4を狙える。前回(ロンドン五輪4位)を超えるために日本から風を送ってほしい。

 城 優勝してほしい。技術面とか自分たちの時代より数段アップしている。気持ち、結束力をもっと出してもらって闘志むき出しに向かっていけば結果は出ると思っています。

 

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