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【東京新聞フォーラム】

スポーツのチカラ アスリートとつくるスポーツ都市TOKYO

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 東京新聞フォーラム「スポーツのチカラ」(東京新聞、東京都スポーツ文化事業団主催)が二月十九日、東京都渋谷区の東京体育館第一会議室で開かれた。フォーラムは「アスリートとつくるスポーツ都市TOKYO」と題して開催。リオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得したウエートリフティングの三宅宏実さん(31)、同パラリンピックの陸上4×100メートルリレーで銅メダリストになった多川知希さん(31)を招き「リオ大会を振り返って」「2020年東京五輪・パラリンピックへの期待」「生涯にわたってスポーツを楽しむために」をテーマに熱いトークを展開。約百五十人が熱心に耳を傾けていた。コーディネーターは鈴木遍理東京新聞論説委員。ゲスト二人の連名の色紙が当たる抽選会もあり、当選者十人には二人から色紙が手渡された。

◆都スポーツ文化事業団・早崎道晴事務局長

 フォーラムには定員の倍近くの応募があり、主催者の一人として皆さまのスポーツへの関心の大きさを知って喜ばしいと思います。ゲストのアスリートのタイムリーな話題をうかがって楽しいひと時を過ごすとともに東京のスポーツの未来についても考えてください。

◆東京新聞・松川貴事業局長

 2014年からこのようなフォーラムを開催しており、昨年からはパラリンピックの選手にも参加してもらっています。ゲストの2選手は20年の東京五輪・パラリンピックを視野に入れてトレーニングしています。短い時間ですが、お楽しみください。

◇壁を乗り越え 仲間と出会う

 鈴木遍理論説委員 リオ五輪・パラリンピックから二月で半年たちましたが、振り返ってどうですか。

 三宅宏実さん 激しい腰痛に襲われ、痛み止めを打って試合に臨んだ。メダルを取れたのでほっとしている。これがオリンピックの難しさなのでしょう。

リオ・パラリンピック銅メダリスト 多川知希さん

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 鈴木 ジャークの最後の三本目に逆転で銅メダルになった。記者席で拍手は普通ないが、三宅さんの時は感動で多くの日本人記者が立ち上がってガッツポーズをした。

 三宅 ありがたいですね。挙がった時はうれしかった。思わずバーベルにありがとうを込めてさすってしまいました。

 多川知希さん パラリンピックのリレーは手の不自由な選手もいるのでバトンはつながず、次走者の体にタッチします。一位の米国チームがボディータッチのミスで失格となり、日本は四位から繰り上がった。棚からぼた餅というのはこういうことかと思ったが、最後まで諦めないことが大事です。がんばってチャンスをもらえる位置にいなければ。五位だったら四位だった。

 鈴木 三宅さんの父親の義行さんはメキシコ五輪の銅メダリストで、ゴルフが好きだった。でも18番ホールを終わると「娘に教えなければならない」と表彰式にも出ず駐車場まで一直線だったこともあった。

 三宅 父は昔の人という感じです。母がピアノ教師だったのでピアノ少女でした。中学三年まではウエートリフティングをやる気はしなかった。シドニー五輪を見て感動したのがきっかけで五輪に出たくなった。伯父の義信も金メダリスト。私も取れるだろうと安易に考えていたこともあった。肉付きがいいからパワー系の柔道でもやろうかと思ったが、父が「途中で諦めない。五輪でメダルを取る」との約束で教えてくれた。

 鈴木 多川さんは早稲田大学理工学部の大学院まで行って量子力学を学んだエリートですね。なぜ陸上をやり始めたのですか。

 多川 中学三年から陸上競技をやり、本格的に始めたのは大学です。たまたま大会に出てみたところ活躍できた。チヤホヤされるのは楽しいし、自信をもてる。量子力学は走ること自体には関係ないが、問題の解決に向けたアプローチの仕方では今でも役立つことが多い。

 鈴木 ドーピングの問題がある。東京五輪は薬物にもクリーンな大会にしていかなければならない。

 三宅 薬物を使用すると、持ち上げる力が二十キロから三十キロも違う。パワーが違ってくる。でも女性なのに副作用でヒゲが生えたりすることもある。私は北京五輪では六位だったが、最近になって二選手がドーピング検査で失格となり四位になった。気持ちは複雑。ドーピング検査は厳しく、抜き打ち検査があるため居場所を常に伝えなければならない。風邪薬など薬局で売られている薬にも神経を使う。

 多川 パラリンピックも大変です。障がいを持っている人はいろいろな薬を服用している人も多く、各自が申請する。そのためドーピング検査も複雑となる。

 鈴木 東京五輪まであと三年。準備はどうですか。

リオ五輪・銅メダリスト 三宅宏実さん

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 三宅 今は合宿中です。目標はあるが心はそこまで行っていません。年齢にどう対応するか。これからが楽しみです。今やっていることを一生懸命やることが大事。ふだんから全力でやりきる習慣を付けている。

 鈴木 息抜きも大事ですね。

 三宅 おいしいレストランで食事を楽しんでいる。三宅家の食事ではテレビも消して、しっかりご飯を食べるのがルール。友人と食べる方が息抜きできる。

 多川 勤務先の東京電力ホールディングスではフルタイムで働いた後に練習する。大学時代は練習時間がとれない時に一階から研究室のある六階まで階段でダッシュした。ただ、今はぶっ倒れるまでやるのではなく、速くなるにはどうすればいいか練習の質を考えている。

 鈴木 パラリンピックのメダルには点字で大会名を書いてありますね。

 多川 視覚障がいの選手もいるので点字だけでなく音も出ます。メダルによって音が違うのですが、金メダルはどんな音がするのか、日本は取れなかったので分かりません。

 鈴木 多川さんは右手に義手を着けて北京大会で走った。当時は珍しかった。

 多川 日本では私が初めてだと思います。生まれつきの障がいということで着けたくはなかったが、手が振りやすい。クラウチングスタートでも義手で肩がそろってスタートしやすいです。(義手を作ってくれた沖野敦郎さん(38)に「感謝したい」と、会場に来ていた沖野さんを紹介し)沖野さんには鉄棒などもつかめるトレーニング用義手も作ってもらっている。

 鈴木 ウエートリフティングは持ち上げた時にシャフトのしなりが戻り、一瞬だけバーベルの重さがなくなる時があると聞く。

 三宅 地面を両足で押すように持ち上げると自分が浮く瞬間があり、ほんの一瞬ですがバーベルの重さがゼロに感じる時がある。そのタイミングで一気に引き上げる。ウエートリフティングは記録に限界がなく、やった分だけ自分に戻ってくるので面白い。

 鈴木 東京五輪がなかったらどうしました。

 三宅 確実に引退してました。ピアノは向いていないのでお嫁さんになっていたかもしれません。卓球の(福原)愛ちゃんもしたし、結婚できる人はいいなあと思っています。父は取材などには「(結婚は)いつでもいいじゃないか」と言いますが、家では私の意思を尊重して大事にしてくれます。

 鈴木 競技をしていなかったら何をしていますか。

 多川 好きなことだけやって家でゴロゴロしているんじゃないか。想像がつかない。私には東京パラリンピックが最後になるだろうからベストを尽くしたい。

 鈴木 スポーツからプレゼントされたものは。

 三宅 心を鍛えてもらった。壁を乗り越えて成長できます。父も伯父もアドバイスしてくれる。

 多川 スポーツでは多くの出会いがあった。現地の方と知り合え、多くの仲間をスポーツで得た。こういうフォーラムに呼んでいただけるのもスポーツのおかげだ。

東京新聞フォーラム「スポーツのチカラ」でメダリストの話を聞く来場者

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 鈴木 では会場の皆さまから寄せられた質問の中から、いくつか選んで聞きます。

 質問 息子が多川さんと同じ障害です。学校の体育や日常生活でハンディを感じることはありますか。

 多川 泳ぐことも車の運転も逆上がりもできる。ハンディとは思ってない。できないことはできないと楽しんで生きる。できないことはやってもらえばよい。

 質問 スポーツで腰痛にならないためにはどう対処すればよい。

 三宅 練習でけがをしたのが腰痛になるサインの一つ。腰痛のサインが出た時に体幹のバランスのケアをしてください。

 質問 気持ちが落ち込まないようにするには。

 三宅 好きなことをして笑うことが大切です。本屋で読みたい本を探したり、人と話し込む。

 多川 おいしいものを食べてリラックスすることも大事です。

 鈴木 フォーラムを終わっての感想を聞かせてください。

 三宅 東京五輪まで三年半。声援がパワーになります。力を発揮させるためいろんなスポーツを応援してください。

 多川 少しでもパラリンピックのよいところをお伝えできたのではないかと思います。

<みやけ・ひろみ> 1985(昭和60)年、埼玉県生まれ。法政大学卒。いちご株式会社勤務。アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロと4大会連続で五輪に出場し、2012年ロンドンで銀メダル、16年リオで銅メダルを獲得した。

<たがわ・ともき> 1986(昭和61)年、横浜市生まれ。早稲田大学大学院修了。東京電力ホールディングス勤務。先天性右前腕部欠損。北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続でパラリンピックに出場し、16年リオでは4×100メートルリレーで銅メダルを獲得した。

リオ五輪ウエートリフティング女子48キロ級のジャークで107キロに成功し、バーベルをなでて喜ぶ三宅宏実選手=2016年8月6日(共同)

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<ウエートリフティング競技> 五輪では第1回アテネ大会から行われている。日本は1952年ヘルシンキ大会で初出場。64年東京大会では、本フォーラムに登壇した三宅宏実選手の伯父・義信選手が初の金メダルに輝いた。女子は、2000年シドニー大会で正式種目となった。男女とも体重別に「スナッチ」(バーベルを頭上まで一気に持ち挙げる)と「クリーン&ジャーク」(第1動作で鎖骨付近まで引き上げ、第2動作で頭上に持ち挙げる)を3回ずつ試技して、それぞれのベスト重量の合計で順位を決める。パワーのほかテクニック、スピード、タイミング、バランス、柔軟性なども求められる。20年東京大会では東京国際フォーラム(東京・有楽町)で行われる。

リオ・パラリンピック陸上男子4×100メートルリレー決勝で、第2走者の佐藤圭太選手(右)からタッチされ駆けだす多川知希選手=2016年9月12日

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<パラリンピック陸上競技> 1960年の第1回ローマ大会から正式種目となった。オリンピック同様に100メートル、4×100メートルリレーなどのトラック競技、走り幅跳びや砲丸投げなどのフィールド競技と42.195キロを走り切るマラソンのロード競技が行われ、2012年ロンドン大会からは全部で29種目が行われている。車いす、義足、視覚障がい、知的障がいなどさまざまな選手が参加するため、障がいの種類や程度に応じて細かくクラスが分けられ公平に競うことができる環境が整えられている。日本は、第2回となる1964年の東京大会から参加。陸上競技では、68年テルアビブ大会から2008年北京大会まで金メダルを獲得し続けたが、12年ロンドン大会以降はゼロに終わっている。20年東京大会で陸上競技は新国立競技場で行われる。

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<東京とパラリンピック> 国際身体障がい者スポーツ大会の愛称。1960年のローマ大会から始まったが、この呼び名が初めて使われたのは64年の東京大会だった。2部構成で行われ、第1部は国際大会、2部は日本人選手だけの国内大会(西ドイツ=当時=は2部に特別参加)。22カ国から375人の選手が集まり、日本の出場者は53人だった。開会式では、日本はスーツではなく「NIPPON」のロゴ入りジャージーを着用して車いすで行進。東京都渋谷区にある東京五輪選手村内の織田フィールドなど6会場で競技が行われ、日本はメダル10個(金は1個のみ)、大会順位13位に終わったが、以後リハビリの施設も増えるなど、日本の障がい者スポーツ発展の大きな契機となった。それから52年後の2016年リオ大会では22種目159カ国から4333人が出場、20年東京大会ではさらに参加が増える見込みだ。

 

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