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【東京新聞フォーラム】

パフォーマー☆北斎の挑戦 〜大都市江戸と名古屋を舞台に〜

熱心に話を聞く来場者ら

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 東京新聞フォーラム「パフォーマー☆北斎の挑戦〜大都市江戸と名古屋を舞台に〜」(東京新聞、すみだ北斎美術館、東京都墨田区主催)が十六日、墨田区のKFCホールで開かれた。東京学芸大の大石学副学長(63)が基調講演で、葛飾北斎が名古屋で大ダルマを描いた背景を「名古屋が新興都市として活性化し、文化と芸術の発信地となった」と分析。すみだ北斎美術館の奥田敦子主任学芸員(43)が、同美術館で開催中の北斎の展覧会内容を紹介した。パネルディスカッションは奥田さんをコーディネーターに大石さんと画家の山口晃さん(48)が参加し、約四百八十人の聴講者が耳を傾けた。

◆水野東京新聞代表あいさつ

 昨年開館したすみだ北斎美術館では「大ダルマ制作200年記念」と銘打ち、展覧会をしています。墨田区はどこを歩いても北斎の薫りがします。本日は三人の出演者を招き、葛飾北斎について話を盛り上げてほしい。最後までご清聴をお願いします。

おくだ・あつこ

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◆すみだ北斎美術館・奥田敦子さん 「北斎漫画」を一挙公開

「パフォーマー☆北斎 江戸と名古屋を駆ける」10月22日まで開催

 本展は、いまから二百年前の一八一七(文化十四)年に、葛飾北斎が名古屋で百二十畳大の巨大なダルマを描いたことを記念して開催している。

 北斎の大ダルマ関係資料として貴重な北斎直筆の図柄をすった宣伝引札(ひきふだ)や、尾張藩士が制作の様子を挿絵入りでつぶさに描き残した記録、そして制作の背景に自身の「北斎漫画」のPRがあったと考えられていることから、当館では初めて「北斎漫画」全編を一挙公開する。

 また、江戸での北斎のパフォーマー的活動としては、将軍の前で行った鶏を使ったパフォーマンスや、米粒の極小アートなどを実験的に再現しており、その再現映像や制作物をご覧いただける。

 北斎が見世物にコミットした作品や名古屋に残した門人たちの作品、名古屋を描いた作品なども併せて展示しているので、パフォーマーとしての北斎の魅力を十分に堪能いただきたい。

おおいし・まなぶ

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◆「江戸と名古屋の都市文化」

 第1部基調講演 東京学芸大副学長・大石学さん

 江戸時代、将軍お膝元・江戸、伝統文化都市・京都、天下の台所・大坂は「三都」と呼ばれた。歌舞伎作者の為永一蝶(いっちょう)の「歌舞伎事始(ことはじめ)」では、上方役者・姉川新四郎が三都について、江戸は活気の二十歳、大坂は少し分別の三十歳、京都は物事をわきまえた四十歳以上と人生に例えている。江戸時代前期の寛永(一六二四〜四四年ごろ)と元禄(一六八八〜一七〇四年ごろ)の文化は京都や大坂など上方中心であったが、後期は宝暦・天明(一七五一〜八九年ごろ)や文化・文政(一八〇四〜三〇年ごろ)など江戸中心となる。

 この「都市の世代交代」の転換期に位置するのが、将軍徳川吉宗の享保改革であった。しかし、御三家筆頭の尾張藩主徳川宗春は、財政改革と緊縮を旨とする享保改革に真っ向から挑戦した。城下町名古屋において自由、個性、人命を尊重し、規制緩和のもと、種々のイベントを許可し、彼自身派手なパフォーマンスで町を活性化させた。その結果、後発の新興都市は多彩な文化を開花させ「芸所名古屋」の基礎が築かれた。当時、名古屋は「新都(しんみやこ)」と謳(うた)われ、伊勢の旦那衆が「名古屋の繁華に興(京)が醒(さ)めた」と詠んだように、確実に三都に迫っていた。

 江戸時代前期、上層階級や富裕層を中心に閉ざされた空間の中で発達した上方文化は、二十歳の江戸と、姉川をまねれば十歳ともいえる名古屋の勢いに圧倒されたのである。しがらみの少ない若い「二都」での葛飾北斎の大ダルマ制作は、開かれた空間の中で武士や庶民など諸階層をターゲットにした点で「国民芸術」誕生のシーンと意義づけることができる。

葛飾北斎や江戸と名古屋の文化について話し合ったパネルディスカッション=東京都墨田区のKFCホールで

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◆第2部 パネルディスカッション

 山口晃さん「高い視線、ドローンのよう」

 大石さん「江戸を背負う 戦略家の顔」 

 奥田 北斎のパフォーマンスアートの評価や、パフォーマーとしての舞台となった江戸と名古屋について話し合いたい。昨年、横浜で大作「鏡板松図」の公開制作に臨んだ山口さんはどうでしょう。

 山口 公開制作の構図はその場で考える。いろいろ仕掛けはするが、見ている人は即興性が面白い。

 奥田 北斎の画力、力量については。

 山口 人間は見えたままより、心もち高い視線をイメージできるといわれる。北斎には(百二十畳大の)大ダルマを描けるまでの能力があった。(カメラ搭載の)ドローンを飛ばして見下ろしているかのようだ。

 奥田 北斎は十一代将軍徳川家斉の御前で、足に朱を付けて走らせた鶏の足跡をもみじに見立てて「風景画」に仕立てた。将軍の前で、そんなパフォーマンスはできたものなのか。

 大石 公の記録はないが、江戸周辺には、将軍がここで食事をしたとか、寺子屋をのぞいたという鷹狩り伝説が多数残っており、全否定はできない。将軍が呼び出して演じさせることはあり得ただろう。江戸は二百六十の大名が参勤交代した。文化のシャッフル(切り混ぜ)が起き、芸術家にとっては大きな市場だった。

やまぐち・あきら

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 奥田 大ダルマ制作は護国寺など由緒ある場所で行われたが。

 大石 徳川家に縁があり権威ある場所。宣伝効果は抜群だった。(興行の)許可をもらうのは難しかっただろう。何かいい手や人脈があったのか。個人ではできない。

 奥田 護国寺で成功し、江戸での流行を(藩主の規制緩和策などで急成長した新興都市の)名古屋に持っていったことには。

 大石 目の付けどころが面白い。江戸を背負って名古屋に挑んだ。芸術家としての顔だけでなく、戦略家の顔が見える。

 奥田 ごまかしが効かないパフォーマンスは、自分の力が見せつけられる場だと思う。あらためて北斎のイメージは。

 山口 北斎は余白の取り方が抜群にうまかった。うまい落語家の「間(ま)」と同じ。そのためモチーフが生きる。

 大石 江戸は、諸国から人が集まる全国性があった。演じる面白さはたまらなかっただろう。庶民の生活も描き、日本のシンボルの富士山も描けた。日本の総体をつかんで普遍化に成功した画家だ。

 奥田 北斎の画力のすごさ、世界が認めた理由が分かり、実りが大きかった。

◆パネリストの3氏◆

<おおいし・まなぶ> 1953年東京都生まれ。東京学芸大卒業、同大学院修士課程修了、筑波大大学院博士課程単位取得。現在、東京学芸大教授。著書に編『規制緩和に挑んだ「名君」−徳川宗春の生涯−』『首都江戸の誕生−大江戸はいかにして造られたのか−』など。

<やまぐち・あきら> 画家。1969年東京都生まれ、群馬県桐生市育ち。96年東京芸術大大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。自著『ヘンな日本美術史』で第12回小林秀雄賞受賞。絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。

<おくだ・あつこ> 1974年神奈川県生まれ。東京学芸大大学院修士課程修了。太田記念美術館主任学芸員を経て、現在、すみだ北斎美術館主任学芸員。著書に『広重の団扇絵 知られざる浮世絵』ほか、北斎や妖怪・花火などに関する論文、解説執筆。

 

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