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【東京新聞フォーラム】

東京・結・琉球フォーラム「知らない、知りたい沖縄」

翁長知事の基調講演を真剣な表情で聞く人たち=東京都千代田区で

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 東京・結(ゆい)・琉球フォーラム「知らない、知りたい沖縄」(東京新聞、琉球新報社主催)が10月22日、法政大市ケ谷キャンパス(東京都千代田区)で開かれた。衆院選の投開票日にあたり、台風21号も接近する中、第1部では翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事が基調講演で、米軍基地をめぐる問題や今後の課題を紹介。続くパネルディスカッションではジャーナリストの津田大介さんをコーディネーターに、法政大の田中優子総長と昭和女子大の川平朝清(かびらちょうせい)名誉教授が参加した。第2部の沖縄音楽ライブはミュージシャンの古謝(こじゃ)美佐子さん、佐原一哉さん、上間綾乃さんがコラボレーションで代表的な民謡「安里屋(あさとや)ユンタ」などを披露し、約600人の聴講者を魅了した。

◆主催者あいさつ

 ◇琉球新報・読者事業局長 潮平芳和

 今回は大変意義のあるフォーラムを開催することができた。昨年度、沖縄への観光客が過去最多の約877万人に上る一方で、米軍基地問題を含む数多くの課題が影を落としている。このフォーラムを通じて、聴講者にもご自身の問題として考えてもらいたい。

 ◇東京新聞代表 水野和伸

 沖縄の地元紙・琉球新報社、沖縄文化研究所を擁する法政大の協力で、フォーラムを開催する運びとなった。悪天候の中、沖縄県の翁長知事をはじめ、法政大の田中総長やパネリストの皆さんに参加いただいた。最前線で活躍するミュージシャンによる沖縄音楽ライブも楽しんでほしい。

◆基調講演 翁長雄志沖縄知事

 日本の法及ばぬ最前線「基地で食べている・余分に振興策」は誤解 

東京・結・琉球フォーラム「知らない、知りたい沖縄」で、基調講演する沖縄県の翁長知事

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 直近の出来事から紹介し、日米地位協定の中で日本政府の置かれた位置を話したい。つい十日ほど前(十月十一日)に、東村(ひがしそん)高江という地域でCH53E大型ヘリコプターが不時着・炎上した。岸田(文雄)自民党政調会長(前外相)が沖縄に選挙運動で来ていて、米軍のニコルソン四軍調整官に抗議しようとしたが、一顧だにされなかった。

 警察は現場に入れなかった。昨年十二月にオスプレイが名護市沖に墜落した時も海上保安庁や警察、消防は入れず物事が進んだ。

 私たちは事件事故があるたびに沖縄防衛局や外務省の沖縄担当大使と折衝するが、彼らは「米軍に伝えます」と言うだけで、全く改善も原因究明もされずに物事が進む。これが地位協定の最前線の沖縄の状況だ。

 安倍総理が今回「大義なき解散」と言われる中で、「国難突破解散」と言ったが、私は沖縄が国からこういう状況を強いられていることそのものが国難である、と県内で話している。

 七十二年前に沖縄では住民を巻き込んだ唯一の地上戦があった。二十万人を超す方が亡くなった。ほとんどが収容所に入れられ、その間に米軍が民有地を整地して飛行場を造り、米軍基地にした。県民が自分たちで提供した基地は一つもない。米軍基地は銃剣とブルドーザーで強制的に収用されたものだ。

 国土面積の0・6%(の沖縄県)に70・4%の米軍専用施設があり、日米地位協定という日本の法律の及ばない状況の最前線に沖縄はある。私たちは基本的人権や自己決定権、民主主義などを十万人規模の集会をして訴える。根底にあるものを理解してほしい。

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 インターネットなどで言われる誤った認識は「沖縄は基地で食べているから、振興策をもらい基地を置いておけばいい」というものだ。年末に政府が発表する三千億円規模の沖縄振興策について、予算をもらい、余分に振興策ももらっているなら基地を預かるのは当たり前だ、という誤解だ。他の都道府県とは違い沖縄県だけは日本復帰後、沖縄開発庁(現内閣府)が要望を聞き、一括計上で沖縄振興策の予算として要求しているだけで、余分にもらっていると思われている。

 今や米軍専用施設は沖縄経済の最大の阻害要因だ。戦後すぐの県民所得に占める基地収入は50%だったが今は5%。一方、米軍住宅の跡地にできた那覇新都心地区の直接経済収入は千六百億円で返還前の約三十倍、雇用者は一万七千人で約百倍になった。残る米軍施設が返されたときの沖縄経済の発展は大変なものがある。

 安倍さんが「日本を取り戻す」という話をするが、その日本に沖縄は入っているのか。「戦後レジームからの脱却」も、北朝鮮がミサイルを撃つたびに米国にすり寄っており、脱却というより「戦後レジームの完成」としか思えない。

 米軍北部訓練場の約四千ヘクタールが昨年十二月に返還されたが、それでも減ったのは約74%のうち3ポイント。普天間飛行場の返還で減るのは0・7ポイントだ。代わりに、新辺野古基地として約百六十ヘクタールが埋め立てられ基地が造られる。普天間飛行場は絶対に県内移設させない。

 私は嘉手納基地に反対するとか、それ以外の70・4%のうち九割の米軍基地について、特に今出て行けという話はしていない。ただ普天間飛行場だけは、沖縄の名誉、日本の自立という意味からしても、これくらいだけは(新基地は造らせない)という思いだ。これからも沖縄にご理解をいただければありがたいし、一緒に日本の民主主義、地方自治を考えていきたい。

<日米地位協定> 日米安全保障条約に基づき、在日米軍の法的地位や基地の管理、運用を定めた協定。米軍人や軍属が起こした公務中の事件・事故は米側に優先的な警察・司法権があると規定しており、日本側の捜査や真相究明が阻まれてきた。1960年の発効後、運用の見直しなどはあったが、一度も改定されていない。過去の運用見直しが事件の再発防止につながらなかったとして、沖縄県などは抜本的見直しを求めている。

<普天間移設問題など分かりやすく解説冊子「Q&A Book」> 翁長知事が基調講演の資料にした冊子「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book」が、沖縄県の米軍基地の歴史や普天間飛行場移設などの問題を分かりやすく解説している。県のホームページにPDF版がある。着払いで送料を負担すれば冊子を無料で入手できる。詳しくは、県基地対策課=電098(866)2460。

<おなが・たけし> 1950年、沖縄県生まれ。75年3月、法政大法学部卒業。85年8月、那覇市議選初当選(2期)、92年6月、沖縄県議選初当選(2期)を経て、2000年12月に那覇市長(4期)、14年12月、沖縄県知事に就任。

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◆沖縄のしられざる現実 当事者意識 持って

パネルディスカッションで話す ジャーナリスト・津田大介さん

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 津田 私はウェブメディアをやっているが、ここ四年ぐらいで本土から見た沖縄が、いい意味でも悪い意味でも変わっていると思う。ネットでは沖縄に対する言説はたくさん出ているが、フェイク(偽)ではというものがかなり流通し、デマのような情報も「事実」として定着している。

 昔に比べて(普天間飛行場の)辺野古への移設問題などについて知り、理解を示す本土の人たちは増えている。一方、沖縄の人たちの多くは「ここ数年で本土との溝が大きくなった」「ネット上で沖縄に対する中傷が目立つ」と感じているといったデータもある。「沖縄と本土の溝」を考える上で、本土の人間はこの問題にどう関わっていけばいいのか。お二人から伺いたいと思う。

 田中 一九七〇年代前半に翁長知事と菅(義偉)官房長官と私は、ここ法政大学で学んでいた。その時期に法大にいると、沖縄に対する関心を持たざるを得なかった。七二年に沖縄が日本に復帰したとき、法大に「沖縄文化研究所」ができ、本土では沖縄研究の一大拠点となった。私たちは一年のとき外間守善(ほかましゅぜん)教授の「おもろさうし」(沖縄の古典文学)の授業を受けた。いつも沖縄がそばにあった気がする。そのころベトナム戦争が続いており、そこへつなぐ拠点のようになった沖縄への関心も高まった。

 川平 この衆院選では「憲法改正」という言葉がずいぶん流れた。しかし、日米安保条約と日米地位協定が日本国憲法よりも上にあるという状態を、なぜいまの首相、内閣、国会は強く感じていないのか。一例として、沖縄にある米軍基地の状況を見れば分かる。沖縄本島は東京都の60%の面積を占める。沖縄にある米軍基地を都に重ねると、千代田区や中央区など十三区を合わせた面積になる。これだけの基地を東京に集めたら、都民は平気でいられるだろうか。全国民の問題として、この事実をとらえてほしい。

 津田 田中さんに歴史を振り返っていただきたい。

 田中 琉球国はかつて中国に毎年のように使節を送る冊封(さくほう)国だった。ところが一六〇九年、薩摩藩の軍事侵略を受けた。この結果、一六三四年から琉球使節が江戸城にも参府することになった。明治維新後に「琉球処分」で沖縄県とされ、琉球国は近代日本にある意味で植民地として組み入れられた。日本の立場から、特に戦前的な見方からすると「琉球は自分たちの支配地じゃないか」となり、そこに差別感がうかがえる。

 かつて独立していながら、いまは日本であることを思えば、日本は沖縄がひとつの自治体として対等であり続けるために、何が必要なのかを考えなければならないと思う。

 津田 沖縄の複雑な歴史をそもそも知らない、伝えられていない状況で、いつまでたっても議論がかみ合わないこともあると思う。そのあたりのもどかしさは?

パネルディスカッションで話す 昭和女子大名誉教授・川平朝清

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 川平 田中総長の話を聞き、祖父を思い出した。祖父は一八五〇年、琉球王国に仕える小姓(こしょう)(側近)として十二歳のときに(琉球使節の)最後の江戸上りに従った。明治維新後に送られた慶賀使にも従っており、「日本政府の国統合への意気は並々ならぬものがある」と感じる。沖縄に戻ってからはヤマト(日本)派と清朝派による争いの中で非常に苦慮した。

 父は東京の徳川育英会育英黌(こう)農業科(東京農大の前身)で養蚕を学んで沖縄に帰ったが、徳川の名の付く学校を出た者が重用されることはなく、不遇をかこつことになった。こうした祖父と父の話が大変重みがあったことを覚えている。

 津田 沖縄では、米軍機をめぐる痛ましい事故が何度も起きている。普通に暮らしていても日常的にある。その記憶のある中で、オスプレイが落ちることは沖縄県民には全く違う意味を持つ。そういうことを想像する力が本土の人には問われている。歴史を知らないと、やっぱり想像できない。

 田中 沖縄県は日米地位協定の見直しを求めている。事件事故が起きたときの情報提供や災害拡大防止措置の義務付けを盛り込むといった当たり前の改定案だ。自治体が普通に要求して当然のことなのに、改定は実現しない。私たちはこの後押しや応援から始めてもいいと思う。

パネルディスカッションで話す 法政大総長・田中優子

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 津田 沖縄の楽園的なイメージが強くなりすぎ、沖縄が抱えさせられた構造的な差別の問題が覆い隠された側面もあると思う。

 川平 私は楽観的だ。交流は非常に盛んになり、沖縄の舞踊研究所とか民踊教室で学ぶのはウチナーンチュ(沖縄の人)以外の人が多い。沖縄に親しみを持ってもらっていると思う。沖縄には海兵隊員が約二万人もいる。彼らが軍服を脱いだら一人のツーリストとして扱ったらどうか。沖縄の人情に触れる機会をどんどんつくればいい。

 津田 沖縄の豊かな文化に興味を持つ延長線上に、基地問題などがつながっていくのではないか。本土との溝を埋めるひとつのヒントをいただけた。

 田中 今日は沖縄文化研究所について伝えることができ、大変うれしい。ここに来れば沖縄について考えることができる、さらにそうした拠点になっていくようにしたい。

 川平 「私たちはなぜ沖縄の基地を引き取るのか」というシンポジウムに集った本土の人たちの市民運動をご存じですか。「日米安保は支持する人が八割。それなら強い反対がある沖縄ではなく、他の都道府県で基地負担を引き受けるのが筋だ」などと語り合っている。こういう動きが始まったのは「当事者意識を持つべきだ」ということ。それが広がることを願っている。

 津田 今年は(沖縄の本土)復帰四十五年の節目。復帰五十年に「復帰しなければよかった」と沖縄の人に言われないためにも、本土からできること、やるべきことはたくさんある。フォーラムがその始まりの場所になればいいと思う。

<つだ・だいすけ> 1973年、東京都生まれ。早稲田大社会科学部卒業。同大文学学術院教授、大阪経済大情報社会学部客員教授。ジャーナリズム、IT・ネットサービス、コンテンツビジネス、著作権問題などを専門分野に執筆活動。ソーシャルメディアを利用した新しいジャーナリズムを実践する。

<かびら・ちょうせい> 1927年、台湾・台中市生まれ、那覇市首里出身。57年、米ミシガン州立大学院卒業。戦後の沖縄でラジオ、テレビ放送の普及発展に尽力。東京沖縄県人会長として本土と沖縄の親睦交流、琉球芸能などの県の観光、文化振興にも貢献し、2011年度の県功労者賞を受賞した。

<たなか・ゆうこ> 1952年、横浜市生まれ。2014年度から法政大総長に就任。東京六大学初の女性総長となった。専門は日本近世文化・アジア比較文化。「江戸の想像力」で芸術選奨文部大臣新人賞、「江戸百夢」で芸術選奨文部科学大臣賞・サントリー学芸賞。05年、紫綬褒章。

カチャーシーで会場を盛り上げる(右から)上間綾乃さん、古謝美佐子さん、佐原一哉さん

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◆「絆いつまでも」歌に思い込め

 古謝美佐子さんと佐原一哉さん、上間綾乃さんらは、高い歌唱力と三線(さんしん)(沖縄の三味線)の演奏で琉球のメロディーを響かせ、沖縄の豊かな音楽文化を紹介した。

 上間さんは沖縄の海の色を思わせるブルーの衣装で現れ、澄んだ声で代表的な民謡「てぃんさぐぬ花」や「さとうきび畑」「島唄」などの曲を歌った。

 「ウチナーグチ(沖縄方言)が難しいかもしれないけど、心で聴いてください」「皆さんとの絆がいつまでも続くように…」と会場に呼びかけた。

 古謝さんは代表曲「童神(わらびがみ)」や戦中、戦後にできた沖縄民謡を歌い上げた。

 3歳のとき、米軍基地内の交通事故で父親=当時(30)=を亡くし、28歳だった母親が基地で働いて、古謝さんと双子の弟を育てたことも明かした。「私は歌うことで、沖縄の人たちが味わった苦しみを伝えてきた。沖縄には皆さんの心の支えが必要です」と訴えた。

 最後は3人がステージにそろい、にぎやかな民謡のメドレーで幕を下ろした。

<古謝美佐子(こじゃ・みさこ)> 1954年、沖縄県生まれ、沖縄民謡歌手。ネーネーズなどを経てソロに。近年「うないぐみ」でも活動開始。

<佐原一哉(さはら・かずや)> プロデューサーで作編曲家、キーボーディスト。古謝さんとの代表曲は「童神」(古謝さん作詞/佐原さん作曲)。

<上間綾乃(うえま・あやの)> 7歳から唄三線(うたさんしん)を習い始め、19歳で琉球國民謡協会の教師免許を取得後、師範免許も取得。沖縄民謡で培った声をベースに、2012年にアルバム「唄者(うたしゃ)」でメジャーデビュー。海外アーティストとのコラボレーションも行う。

 

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