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【東京新聞フォーラム】

動揺100年 唱歌・童謡の文化を次の世代へ

最後に童謡「ふるさと」を歌う(左から)海沼実さん、松島トモ子さん、音羽ゆりかご会のメンバー=いずれも東京都中央区の日本橋公会堂で

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 東京新聞フォーラム「童謡100年〜唱歌・童謡の文化を次の世代へ〜」(東京新聞主催)が8月23日、日本橋公会堂(東京都中央区)で開かれた。童謡を生んだ児童雑誌「赤い鳥」の創刊100年を記念し、作曲家・音楽教育家の海沼実さんが児童合唱団「音羽ゆりかご会」の子どもたちの歌声とともに童謡についてレクチャー。女優・歌手の松島トモ子さんは童謡にまつわるエピソードを交えながら歌った。一般公募の400人が数々の懐かしい童謡に魅了された。

◆東京新聞代表・水野和伸 あいさつ

 今回のフォーラムには募集から一週間足らずで二千近い応募があったほどでした。五十年も六十年も前に習った童謡はいまでも歌えます。日本人の脳のどこかに感応するところがあるのでしょうか。童謡の歴史を念頭に置きながら、幼少時代の思い出と重ね合わせて楽しんでください。

講演する海沼実さん。右は音羽ゆりかご会の子どもたち

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◆第1部 海沼実さん日本語の抑揚を美しく再現 

 童謡の誕生から百年というが、今なお歌い継がれる名作をひもとくと、その多くは、その前半の五十年間に成立している。

 もともと黎明(れいめい)期の童謡は「歌曲」ではなく、子ども向けの「文学」だった。文語体で、かつ教条的な内容が多い文部省唱歌や説話に対し、夏目漱石門下の児童文学者鈴木三重吉は有志の文学者を募り、児童雑誌「赤い鳥」を創刊。創刊の翌年には曲譜集も発刊されるが、童謡の歌曲化には当初から賛否両論があった。

 そこで楽曲を担当した作曲家たちは、単なる西洋式音楽ではなく、日本語の抑揚やイントネーションを美しく再現する旋律性にこだわった。日本を代表する文学者が描いた世界観を損ねることなく、同じく日本を代表する音楽家が作曲した作品こそが、創成期の童謡だった。

 やがて戦後には川田正子、孝子、美智子の三姉妹に代表される人気童謡歌手や、松島トモ子さんなどの子役スターにより、童謡は一世を風靡(ふうび)する。しかし童謡が全国民的に愛され、最も広く歌われた時代は短かった。昭和三十年代以降、歌曲性のみに偏重する作風が広まるにつれ、その文学性は次第に置き去りにされ、童謡は衰退しながら後半の五十年を経て今日に至る。

 戦前から活動を継続する唯一の合唱団で、現在も「赤い鳥童謡運動」を継承する音羽ゆりかご会では、その練習時間の大半を歌詞の解釈に費やし、童謡の文学性を大切に継承している。童謡百年という節目を機に、この素晴らしい児童音楽文化の「初心」に帰ってみるのもいいだろう。

童謡について語る松島トモ子さん

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◆第2部 松島トモ子さん きみちゃん私だったかも

 第二部で、海沼実さんに紹介されて舞台に登場した松島トモ子さん。「私は童謡が大好きですけれど、小さいときより今の方がもっと好き」としみじみと語った。

 幼いころ「赤い靴」の歌詞の「異人さん」を「良(い)いじいさん」と勘違いし、「良いじいさんがなぜ女の子を連れていくの? 誘拐の歌かなと思い、歌いませんでした」という。しかし、大きくなって「赤い靴」に秘められた悲話を知った。

 「赤い靴」の女の子・きみちゃんは一九〇二年、静岡県に生まれた。母に連れられ北海道に渡ったが、母子に希望はない。母は米国人宣教師夫妻にきみちゃんを託し、米国での幸せを祈った。なけなしのお金をはたいて娘に赤い靴を買った。だが、きみちゃんは渡米することなく、結核のため東京・鳥居坂の孤児院で亡くなる。九歳だった。

 「この歌が心に迫ってやまないのは、私も中国残留孤児になりかけたから。私は中国・旧奉天市生まれ。母が命懸けで抱えて日本に帰ってきた。でも母がもし私を置いてきたら…。きみちゃんは世界中にいるんですね」。こう語ると、松島さんは哀愁を込めて「赤い靴」を歌った。

 「月の沙漠(さばく)」を作詞した画家で詩人の加藤まさをが、いったいどこをイメージしてつくったのかにも話題が及んだ。松島さんは「加藤先生にインタビューに行ったの。そしたら驚くじゃありませんか。お月さまですって」。加藤は砂漠のような月面を二頭のラクダが歩いていくのをイメージしたのだという。「ぼくが死ぬ前にアポロ(11号)が月に行っちゃった。夢がないよね」と嘆いたのだとか。

 フォーラムの最後には松島さん、音羽ゆりかご会と会場が一体となって「ふるさと」を合唱した。

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<かいぬま・みのる> 1972年、東京都生まれ。「みかんの花咲く丘」「里の秋」などの作曲を手掛けた海沼實(みのる)を祖父に、童謡歌手の川田正子・孝子姉妹を伯母に持つ。作曲家として欧州で活躍するほか、唱歌・童謡継承運動の旗手として各地で講演活動や執筆、大学講師なども務める。

 ◇ 

 海沼さんの著書「海沼実の唱歌・童謡読み聞かせ」(東京新聞刊、写真)が発売中。問い合わせは、東京新聞出版・社会事業部=(電)03(6910)2527=へ。

<まつしま・ともこ> 1945年、旧満州生まれ。3歳からバレエを始め、阪東妻三郎の目に留まり芸能界デビュー。子役、女優として数多くの映画に主演したほか、53年には「村の駅長さん」で童謡歌手としても注目を浴び、国民的少女スターとなる。現在もテレビなどで活躍。

「赤い鳥」創刊号=1918(大正7)年7月刊行

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<童謡100年> 童話の発展を後押しした児童文学雑誌「赤い鳥」が1918(大正7)年7月に刊行されたことにちなむ。

 赤い鳥は、夏目漱石の教え子で児童文学者の鈴木三重吉が創刊した。童謡の第1号は西条八十(やそ)が同誌の18年11月号に発表した「かなりや」で、翌年5月号には作曲家成田為三(ためぞう)の曲付きで紹介された。北原白秋も「この道」など、芸術的な薫りが豊かな作品を発表。同誌を舞台に長く歌い継がれる童謡が育まれた。同誌は、鈴木が亡くなる36(昭和11)年まで全196号が出された。

着物姿で歌う音羽ゆりかご会の子どもたち

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一緒に「ふるさと」を歌う会場の観客

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