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【群馬】

日航機墜落事故32年 遺族ら鎮魂の慰霊登山

犠牲者の名前が刻まれた碑の前で手を合わせる山本直幸さん(右)一家=上野村で

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 日航ジャンボ機墜落事故から32年を迎えた12日、今年も上野村の墜落現場「御巣鷹の尾根」には慰霊登山のため多くの遺族たちが集まった。仏教で「弔い上げ」と呼ばれる重要な節目の33回忌に当たることもあってか、登った遺族は昨年より86人多い359人。それぞれの家族がそれぞれのやり方で故人に語りかけ、祈った。 (原田晋也)

 「三十三回忌ができるということは、それくらい家が続いたということでもある。安心してください、と言いました」。父の山本幸男さん=当時(48)=を失った直幸さん(48)=東京都杉並区=は、三十三回忌を機に初めてこの日に家族四人で登った。

 高校二年だった三十二年前、ラジオで読み上げられる乗客名簿の中に父の名前があったが「どこかに不時着したんだろう」と思っていた。しかし、翌日ヘリから墜落現場を撮影した映像を見て父の運命を悟った。

 多忙で普段あまり家にいなかった父。初めは「ピンと来なかった」。しかし、葬儀が終わってふっと気が抜けると、寂しさが込み上げてきたという。「確率で言えば飛行機は安全な乗り物と言われるが、事故に遭った人にとっては安全性は0%。二度とこういう事故がないようにしてほしい」と願った。

     ◇

 夫の佐田弘さん=当時(53)=を亡くした和子さん(81)=埼玉県所沢市=は、弟の中村晴男さん(74)=同県春日部市=と二人で登った。中村さんは墓標に弘さんが好きだったビールを供え、自分も口にした。「これが楽しみでね」。頼もしい義兄だった弘さんとは仲が良く、家に行ってはよく一緒に飲んでいたという。

 当時保険会社に勤めていた弘さんは大阪に単身赴任中で、東京出張の帰りに事故に遭った。和子さんが一週間ほど大阪に滞在し身の回りの世話を焼いてきたばかりだった。和子さんは「初めのうちは、私も同じ飛行機に乗っていたらよかったのにと思っていた」と寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに一転してすがすがしい笑顔になって言った。「今はそうは思いません。生きている方が得ですよ。死んだ人はかわいそう」

 登山中、二人に親しげに声を掛ける人がいた。弘さんの墓標まで花を手向けに来た別の犠牲者の遺族もいた。「つらい事故だったけど、お友達もいっぱいできた。夫からのプレゼントだと思っています」

     ◇

 墜落機の高浜雅己機長=当時(49)=の妻淑子さん(74)はまだ薄暗い早朝に家族と訪れた。駆けるように先を進んでいく七歳と九歳の孫から「ばあば、頑張って」と声を掛けられながら、ゆっくりと山道を登った。毎年登っているが「乗客のご遺族に申し訳なく、つらくなる」とまだ人が少ない時間帯を選ぶ。式典への出席も辞退している。

 雅己さんはフライトを終えて家に帰ってくると、晩酌は決まってビールだった。淑子さんは「においをかがせてあげないと」と缶ビールを雅己さんの墓石にかけ、手を合わせた。「今年は体調を崩したがなんとか元気に登れた。これが最後に残された仕事だと思っている。命の続く限りお参りしていきたい」と語った。

 

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