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【群馬】

<ダミアン・ロブションのBONJOURぐんま> (13)名前が変わった故郷の母校

サルト川から見上げたサブレ城

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 私の故郷サブレ・シュル・サルトは約一万二千人が住んでいる。パリ盆地や世界遺産モン・サン・ミッシェルのあるノルマンディー地方、クレープの発祥地ブルターニュ地方に向かう道路が交差する地点にあり、立地のいい城下町から交通の要衝へと発展してきた。

 一九六〇年代に入ると、農業が盛んなサブレ周辺の養鶏場から供給される上質な鶏肉を扱う食品加工のほか、金属加工や電機製造などが市全体の成長を後押ししてきた。サブレの人口は二十五年で倍増し、市街地周辺の急速な都市化へとつながった。

 サブレの歴史の変遷をたどるには、街なかを散策するのが一番だ。くねくねした十五世紀の薄暗い路地の両サイドに木骨の家屋が集中する旧サブレ地区、パリの整然とした街並みを思い出させる市役所広場で十九世紀に整備されたビル街など、サブレの各地区でそれぞれの時代の趣漂う街並みを楽しむことができる。

 サブレのシンボルと言えば、高台からサルト川を望むサブレ城だろう。サブレ生まれと言われるバター味が効いたさくっとしたサブレクッキーの包装紙にも描かれている。サブレ城は、ベルサイユ宮殿の「太陽王」ルイ十四世の外務卿を務めたコルベール・ド・トルシーが十八世紀に建設した。

 私が通っていた高校はサブレにある「コルベール・ド・トルシー高校」だったが、二年前に校名が「ラファエル・エリゼ高校」になった。ラファエル・エリゼは、西インド諸島群のフランス海外県マルチニーク出身。獣医師としてサブレに移住し、一九二九年に市長になった。フランス本土初の黒人の地方首長だった。

 彼が造った西フランス初の公共プールは、私の子ども時代を語る上で欠かせない。多くの人から支持され、三五年に再選したが、戦時中、フランス北部を支配していたドイツ軍の敵意と有色人種差別から市長職を罷免される。ドイツ軍に抵抗するレジスタンス運動に加わるが逮捕され、四五年にドイツの収容所の空爆で亡くなった。

 青春時代を過ごした母校の名前が変わったと聞いた時は少し悲しかった。しかし、愛する故郷の歴史的な景観のみならず、地元のために尽力した偉大な人物たちの記憶を大切にし、それをまちのアイデンティティーとして後世に残していくことが大事だと、しみじみ思った。 (富岡市国際交流員)

 第2、第4日曜日に掲載します。

 

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