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【群馬】

上野三碑「世界の記憶」に 古代人の心 直接表現

若狭徹さん

写真

◆寄稿・明治大准教授(元高崎市教委文化財保護課長)若狭徹さん

 十月三十日に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の歴史的文書を対象とする「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された高崎市の「上野三碑(こうずけさんぴ)」。その歴史的な魅力や意義について、元同市教育委員会文化財保護課長の若狭徹・明治大文学部准教授が本紙に寄稿した。県庁では一日、「登録祝賀セレモニー」が開かれた。

 上野三碑の各碑を訪れて覆屋のガラスをのぞくと、ライトに照らされた文字の列が浮かび上がります。目で追っていくと、ほとんどの漢字を読むことができ、大まかな意味を取ることが可能です。千三百年も前に刻まれた文字を理解できることに驚きを禁じえません。しかも石碑という劣化しにくい素材であるからこそ、博物館の中ではなく、現地でいつでも見ることができる。まさにこれは記憶遺産なのです。

 その魅力は、古代人の心をダイレクトに伝えているところでしょう。祖先や父母を思う子の心、豪族たちの結婚関係、女性の地位の高さや誇り、自分の家のセレブ自慢など、人間くさい心情がビシビシと伝わってきます。多胡碑も、「新しい郡の設置」という国家的な内容ですが、実は政府首脳に認められ郡長官となった「羊」が、己をアピールするために刻んだものです。

 三碑が建てられた飛鳥時代から奈良時代初頭は、国の形が定まっていく時期です。豪族たちにとって、政府から郡長官に任命されるのが最高の栄誉であり、いろんな政治運動が繰り広げられていました。結局三碑は、山上碑・金井沢碑を建てた三家(みやけ)氏など旧来の名門と、「羊」に代表される新興の渡来人たちのせめぎ合いの産物でした。三家氏は古来の家柄を強調し、一門の結束を固めるため碑を刻んだのですが、郡長官になった「羊」の方が勝ち組でした。しかし、基本的には地元民と渡来人が共存し、双方にチャンスが与えられる共生関係が存在していたのです。民族が殺戮(さつりく)しあう世界史のなかにあって特筆すべき点と思われます。

 私がほかに注目するのは、ジェンダーの観点です。金井沢碑には九人の人名が刻まれますが、うち四名が女性であり、しかも「○○刀自」という個人名で記されています。中世以降の系図からは女性の名前が欠落し、男系になっていきますが、古代においては女性が男性と対等に扱われていたのです。なかでも三家氏の妻である「目頬刀自(めづらとじ)」には、豪族の家を取り仕切る女性の地位である「家刀自」の文字まで書き添えられています。一門の台所を取り仕切った目頬刀自の誇らしい姿が目に浮かぶようです。

 そして、これらが破壊されることなく地元民の力で伝存されてきたことも誇るべきことです。イスラム過激派が仏教遺産や博物館を蹂躙(じゅうりん)し、戦火が遺跡を破壊する映像を見るにつけ、文化遺産の保存がいかに難しくまた尊いことか痛感させられます。登録を機に上野三碑の魅力を私たちは新たに認識し、後世に伝承することが必要でしょう。

 

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