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【群馬】

「関連文書のある三くだり半」 太田・縁切寺満徳寺資料館で企画展

三行半の背景が分かる関連文書が並ぶ会場=太田市で

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 江戸・明治期の離婚証明書「三行半(みくだりはん)」の企画展「関連文書のある三くだり半」が太田市の縁切寺満徳寺資料館で開かれている。夫婦が離婚したことを示す本文に加え、さまざまな背景がわかる貴重な資料が展示され、当時の夫婦の哀歓をうかがい知ることができる。来年1月14日まで。 (原田晋也)

 三行半は名前の通り三行半ほどで書かれることが多い簡潔な文章で、離婚理由は「此度都合依リ」などと具体的に書かれないことがほとんど。今回は資料館の高木侃(ただし)名誉館長の所蔵資料などから、関連文書が残っている日本各地の三行半約二十点を集めた。

 享保六(一七二一)年に上野国新田郡矢嶋村(現在の太田市)の伊兵衛と妻のしゅんが離婚した際の三行半には、大きなもめ事に発展したことがうかがわれる資料が残っている。

 しゅんの弟三四郎が伊兵衛の理不尽な行動について役所へ訴え出た訴状によると、享保四(一七一九)年に伊兵衛に嫁いだしゅんはいったん弟の元に帰り、まもなく復縁。しかし、結局うまくいかず二カ月後に離婚した。

 その後、しゅんに再婚の話が出たが、伊兵衛は自分の妻だと主張。一、二年の間に三四郎やしゅんの従弟と伯父の家で起きた三件の火事は自分の放火だと告白した上で、復縁を迫った。三四郎は「伊兵衛は思い詰めたら何をしだすかわからない」と訴訟に及んだという。それ以上の資料はなく、決着はわからない。

 三行半は夫から妻に対して出されるものだが、妻側に離婚を切り出す権利を持たせた「先渡し離縁状」と呼ばれるものもあった。文久元(一八六一)年に夫の六兵衛から妻のきたに対しての三行半は、のり付けされた別紙に事情が書かれていた。

 二人はいったんは離婚が決まったものの復縁することになり、今後きたが六兵衛を嫌になった場合は離婚するという条件で三行半が書かれたという。離婚しようとした理由は不明だが、夫に浮気など何らかの原因があったとみられる。

 渋川市から訪れた会社員男性(30)は「昔も今も人は大して変わらないものだなと思った」と話した。

 二十六日には高木名誉館長による講演会が、十二月二日には展示説明会が開かれる。いずれも午後二時からで、無料。希望者は電話で申し込む。

 月曜定休。入館料一般二百円、中学生以下無料。問い合わせは資料館=電0276(52)2276=へ。

 

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