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【群馬】

草津の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」 旧門衛所跡を発掘調査

旧門衛所跡の発掘現場を視察する国立ハンセン病資料館の黒尾和久学芸部長(右)と重監房資料館の北原誠主任学芸員=草津町で

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 草津町の国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」で、入所者を強制隔離した戦前と、戦後に正門脇にあり、看守が出入りを見張った旧門衛所跡の発掘調査が十七日、各報道機関に公開された。旧門衛所跡の近くには、主に戦前に入所者の懲罰施設だった重監房の跡もあり、看守は監禁した入所者の監視も兼ねた。発掘現場には元患者も訪れ、門衛所に看守がいた当時の差別の歴史を証言した。 (菅原洋)

 「子どものころに園外へ逃走しようとすると、看守に追い掛けられ、恐ろしかった。門衛所内に入所者用か手錠があったのを目撃した入所者もいた」

 元患者で、入所者自治会副会長の岸従一(よりいち)さん(78)は思い起こすように語った。

 岸さんによると、正門には頑丈で高い観音開きの扉があり、入所者の逃走を阻んだ。門衛所には二、三人の看守が常駐し、中からガラス越しに目を光らせ、入所者は近寄るのを避けていた。担当の入所者が重監房に食事を運ぶ際、看守が鍵を持って監視のために同行したという。

 重監房には、逃走など理不尽な理由で延べ九十三人が収容され、粗末な食事と冬は氷点下二〇度近くになる極寒の中で二十三人が亡くなったとされる。

 門衛所は戦前に建てられ、昭和中期には使われなくなった。一九八三(昭和五十八)年に解体された。

 木造平屋の約二十三平方メートル。宿直室と便所などがあり、周囲を監視するためにガラス窓を多用したとみられる。戦前には看守が泊まり、正門の出入りと重監房を監視していたという。

 発掘調査は、楽泉園に隣接する重監房資料館が十月十一日から今月末までの日程で進めている。陶器、ガラス、れんがなどの破片が計千点以上出土し、今後分析する。現場は埋め戻し、解説付きの案内板を設置する予定。

 発掘現場を視察した国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の黒尾和久学芸部長は「ハンセン病差別の象徴である重監房に関する証言の中に、門衛所の話も出てくる。差別の歴史を伝えるため、旧門衛所跡を発掘して記録を残すことに意義がある」と解説した。

 

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