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【群馬】

<志尾睦子のそふとフォーカス> (8)一年の計はするめにあり

てんやわんやで準備した志尾家の鏡餅。「年神さまも笑っているだろうな」

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 今年のお正月、一人暮らしの自宅に立派な鏡餅がお供えされた。ここ数年は市販の鏡餅セットにお世話になっていたのだが、今回は母が数年ぶりに作ってくれた。

 毎年十二月二十八日には映画館の支度に合わせて自宅も年神さまを迎える準備をする。一応、こういうことは大事にしているので、やらないことはないが、年々そこに配分する力が小さくなっていた。一昨年、お正月に母が帰ってきたとき、さすがにそれがわびしさを募らせたのかもしれない。今シーズンの帰省は力が入っていた。大みそか、私が仕事を終えて帰ってくると、家の中は大騒ぎだった。テキパキと動く母、紅白歌合戦を横目に、言いつけられて渋々手を動かすめいっ子、今更ながらの実家のお正月準備に追われる姉、でてんやわんやという具合。作業の中心は餅つき。私が物心ついた時からわが家にある家電餅つき機で、三升のもち米が鏡餅とのし餅になっていた。

 気づけば、私が用意したプラスチックに包まれた小さな鏡餅も、数年来使いまわしている紙製の三方もどこかに追いやられ、木製の三方に鏡餅がセットされている。なんと立派な昆布とするめまで。ありがたいと思いつつ、ここまでするならもうちょっと足りないよねえ、と思ってしまう私。四手(しで)がどっかにあったはず、レプリカの裏白(うらじろ)もしまい込んでる気がすると、がさがさ探す。すると私の背中に母は「半紙なかったかしらねえ」と言う。どうやら半紙で四手を作り、四方紅(しほうべに)を作るのが母的ルールのようだ。うむ。変な自分ルールというのも血は争えない。私はこの人の子なんだなあと妙な納得をした。

 さて。結局半紙は見つからないまま、割り切りも早い志尾家のお正月は、この何か足りない鏡餅で年神さまを迎えた。ある種の満足感で意気揚々と東京へ帰った母たちだが、一方残された私には不測の事態が待ち受けていた。するめのにおいが、手ごわい敵だということに今更気づく。するめに罪はないが、毎日だとちょっとしんどい。でも、においは記憶に長く残るというから、ついでに鏡餅に毎日今年の抱負をつぶやくようにした。そうするとなんだか効き目が強い気がしてきた。

 一年の計はするめにあり。これも新しいわが家のルールになりそうだ。 (シネマテークたかさき総支配人)

 第1、第3、第5日曜日に掲載します。

 

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